ニバルレキレ 新しいワークショップに向けて(1)

ニバルレキレのワークショップと展示会。

7年間、南アにずっといたときには、ひたすら日本の仲間に展示会を巡回させてもらって助けられてきた。一時帰国のときには、後援やワークショップで全国を駆け回った。
ニバルレキレの展示会は、ほぼ都道府県を制覇しているんじゃないかというくらい、全国を旅してきて、そろそろ、傷ついた写真パネルや工作品や、展示会の最中に成長してきた子供たちの改めての肖像権の問題など、いろいろと考え整理する時期が来ているように感じている。
それでも、この7年間で本当に多くの方がニバルレキレによってつながりアフリカに触れてくださった、その一つ一つの出来事は、これからもきちんと、ようやく始動したこのブログで報告していかなければいけないと思っている。

展示会のことは、11月12月にかけて南アの仲間たちと議論できたらと考えています。

そして日本での活動。

ワークショップ。「南アを語る」自分のこれまでのワークショップにはいろいろな反省は多いですが、一応いくつかの段階があったと考えています。
ワークショップが始まった時期というのは、南アでARVにHIV陽性者がアクセスできるかどうか、子供たちがARVでの治療を受けられるかどうか、本当に、私の知る誰もが必死で、私も必死だった。明日失うかもしれない命、命、命。目の前にいる大切な人の誰を失うのか、わからない、そんな恐怖。HIVのもつスティグマ(烙印)や差別の問題。幼い子供が孤独に命を終わらせていく日々。それらを、とにかくワークショップでは語ってきたつもりだった。これがワークショップの第1期。
次第にそれが政府によるARV治療の無償化の動きにあわせるようにして、人々の暮らしや希望にどのような変化が生まれてくるのか、実際に治療にアクセスできたのか、アクセスしてどうなったのか・・出会った仲間や友人や子供たちのその後を追う年月が次の時期でした。
これが第2期。
その中で、ニバルレキレが大きなテーマとしなければいけないと感じたことは、コミュニティとどのようにつきあってゆくか。コミュニティでの自発的な住民による行動でない限りは、どんな介入もうまくいかないこと。いかに自発的なアクションが起こるような素地を作っていくか。自発的なアクションが、たとえ稚拙で、危なっかしくても、それを支える人がいることで、もしかしたら軌道にのるかもしれない。そんなチャレンジを支える時期がやってきた。別に私たちは、大きな資金を抱える団体ではなく、支援してくれる方たちも、相手の顔が見えるから、と支援してくださっている。なので、ときには失敗したり中座しそうになったりしながら、それでも「つながること」を大切に、いろいろなアフリカ人の活動や生活を見守っている。
このプロジェクトなどの報告が第3期。
今年から開始したのは、出会ったエイズ遺児が成長してきた月日や、エイズで家族を失った遺族の数年に渡る喪失体験へのニバルレキレのかかわりについての報告。遺児がどんどんと成長している。大人になる前に、彼らには様々な学びや経験、心の中での迷いの解決が必要な時期。ドロップアウトしそうになる子供も多い。自分の感染が原因で負った病気による外的な変化を「醜悪」と悩む子供がいる。幼少時の虐待が尾を引き、今も特別クラスでの学習を必要としている情緒障害児がいる。大切な、私たちにとっては「マイチャイルド」なのだけれど、彼らのこれから先の人生を支えるためのプランをニバルレキレなりに作っていく必要がある。
家族の死によって停滞することなく、喪失体験を乗り越え、家族として再生してゆく姿を支えていくことも大切だ。感染者の多いこの国では、その中で、誰かが勇気を持ってHIVテストを受けにいったり、HIV教育の中で、男女交際について自分なりの価値観を身につけていく。
これらの、4期目のワークショップは、まだ2回しか行えていない。

それから、これらとは別に「国際協力に関心があって」「一人でもできることは何だろう」「いろいろな団体に足を踏み入れるものの、どこかしっくりこない」そんな人たちとの交流もしてきました。

これからも続けていくつもりだが、一度これについては南アに私も渡航して、南アの仲間ともしっかりと話し合って、いろいろな大切な人の今の暮らしをきちんとインタビューさせてもらおうと思っている。

そして、このようなこれまでの国内活動のスタイルに加えた活動を
この秋から始めようと考えています。 (2)へつづく。