ここで生きていく。

メッタ刺しにされた少年、大切な少年のニュースに今日は一日打ちひしがれていた。何かしなくちゃ・・そんな思いで一杯だった。
私にできたことは、自分には何もできないということを思い知ることだった。

午後になり、少年は回復していることも詳しく知らせが届き、皆でいろいろとケアもしている様子が伝わってきたので、少し安心した。
少年の性格やクセをよく知っているので、知らせの中で彼の表情や、文句を言ったり、甘えたりする様子が目に浮かび、飛んでいってハグしたくて、ジリジリしながら過ごしているところだ。

常々、仲間と話していることだが、私たちはタウンシップでの人生の現実を知らなければいけない。そして少しは知っていると思っていると、いつも新しい悲劇が起こり、何もわかっていないことを思い知らされる。
ここが嫌だから他へ行く、ここでショックなことがあったから他へ行く、そのような選択肢などない中で誰もが暮らしている。選択肢はもしかしたら作れるのかもしれない。でも、多くの人はそこでずっと暮らしていくことを選ぶ。他を選びようがないのだ。お金もないし、仕事もないし、技術を身につける機会もない。情報へのアクセスがわからない。など。日本人の発想を持ち込んではいけない。
少年も、これからも彼の生まれ育ったタウンシップで生きていくだろう。少し先には血だらけになった道路がある、その風景の中で彼は生きていく。

よそへ行く。私が知る、よそへ移っていった人はHIVの感染がわかったことで、家族からキックアウトされた人たち。専門職で仕事がきちんと得られる保証のある人たち。貪欲にビジネスを行う馬力のある外国アフリカ人たち。田舎に精神的にも安定した家族を持っている男たち。


都市のタウンシップでの暮らしはシビアだ。目の前の豊かさと、自分の置かれた現実とのギャップ。鬱屈感。エイズによって傷ついたコミュニティ。喪失。ずっとそういう環境の中で誰もが生きてきた。
あらゆることを全て体験して、抱えて、これからも生きていく。
少年は昔から勇気のある子だった。何もかもを彼が自分の中で消化し、どうすれば人生がもっと安定したものになるのか、彼自身の頭の中で考え、そのための行動をとり、一人で歩いていけるようになるまではまだ何年もかかるだろう。
一緒に、歩いていこう。彼が決して、誰かを傷つける人間にならないよう、見守るのが私たちのファミリーとしての責任だから。