タウンシップの子供・給食風景

ニバルレキレは、活動の長さの割りに、とっても写真が少ないのです。
写真があると、もっとお伝えできることもたくさんあるのだろうな〜と思うのですが。
理由は、いろいろ。
①私が不精だったから。
 ほんとに不精です。アフリカの友達は(日本でも)私のことを「汚い」「風呂に入ったら」「どこででも寝るのね」「なんでそんなにくつろいでるのよ」「また寝てるよ・・」と言います。ちなみにアフリカ人はとてもきれい好きでおしゃれです。私も別に臭うほどは汚くないつもりだけれど・・。

②カメラをほとんど持ち歩かずに、タウンシップを徘徊しながら暮らしていたから。
 タウンシップ滞在は、私の場合はタクシー(乗り合いバス)の往復のお金と、仲間との食事の足しになるお金を裸でジーンズのポケットに入れ、携帯電話をもう一つのポケットに入れて出かけるだけです。女性によっては、お金も携帯も盗られないようにブラジャーにしまう人もいますね。メモ帳はもっていくけれど、だいたい子供との紙遊びや、ズールー語の単語をメモしておしまい。アフリカ人がやらないことは、私もやらない。だからあんまり写真は撮りません。

ホスピスで死を前にした患者さんの記念写真は、本人と家族だけの宝物だから。
 ホスピスなどでは、多くの患者さんの写真を撮影しました。患者さんが望むだけ撮りました。でもそれは本人と残されることになる家族へのプレゼント。なかには、自分のことを日本で話したり写真を見せてもいいよ、という人もいますが、多くの患者さんはあくまで、自分がこの世に生きた証としての写真をリクエストしただけなので、それらの写真は公表はしません。ちなみに、そういった気持ちや、プライバシーのことへの配慮から、このブログでも本人の了解ないまま実名は用いません。また、過去に実名でよいと語っていた人でも、様々な人生の葛藤を抱えてその人が揺らいでいる場合には、実名で紹介する予定はありません。

④でも、記憶の中にある様々な風景・表情、いろいろなことをアウトプットするには写真はいいですね。
 今さら・・です(笑)これからは、少しずつ、写真をとることも考えていこうかな。

というわけで、たまには写真も載せられるかな?といったところです。
今日の写真はエマプペニというタウンシップで、地元のアフリカ人ソーシャルワーカーがリーダーになって始めたエイズ遺児支援のプロジェクトの中の、給食プログラムです。小学校と連携して構内で行わせてもらっています。
この地区でプロジェクトが始まるまでには、長い長い物語、大切な家族の死と向かい合ってきた家族との交流の年月があります。