ニバルレキレ展

 ニバルレキレ展というのは、ニバルレキレの活動を始めて間もない時期に、日本で始めた「エイズ遺児の絵画・写真展」です。
 作品展のきっかけは、当時ボランティアで手伝っていた、エイズ感染孤児の病院での院内学級での先生とのやりとり。2010年の今はその院内学級も海外からの寄付金によって、きちんとした建物になっていますが、当時は古いコンテナの寄付を受けて、水道もトイレもない、電気だけは電線をひいて使うことのできる小さな小さな、クラスでした。病棟の子供は3歳から院内学級に参加できます。毎朝の先生のもとへ集合して、3歳から上の子が手をつないで、庭の向こうのコンテナへと出かけていく時間は、赤ちゃんたちは大騒ぎ・大泣きをしながら、窓ガラスにへばりついています。
 院内学級は病棟の子供にとって、大切な誇らしい、そして立派な学校への通学体験なのです。だいたい3〜5歳までの子供が参加します。まれにそれよりも年上の子供が体調を崩したりして入院してきます。そうでない場合は就学前に他の小学校に近い施設に移ったり、里親のもとへ行ったりします。また、悲しいことには、亡くなる子供も少なくありません。
 そんな院内学級の先生は、とても子供たちが大好きです。私は、初めてそのコンテナの学級に入ったときに、あまりの部屋のかわいらしさに、惚れ込んでしまいました。
「なんて素敵なの」と伝えると誰もがうれしそうにしてくれます。たくさんの子供の絵やモビールや人形などが飾られています。そこには、目の前にいる子供とは違う名前も・・・。「この子は亡くなったのよ」と一つ一つの絵を先生が説明してくれます。子供たちは孤児なので、身寄りもないので、子供の写真や作品などを生前の記念にと誰かが大切に持っていくことはありません。元気に暮らしている孤児の作品も、子供たちにはベッド以外には自分のスペースはないですから、先生はコンテナに飾れる以上のものは破棄するしかないのよ・・と言うのです。どうも、アルバムづくりや作品の展覧会・発表会などの熱心な働きかけを病院に持ちかけるのは困難な様子です。
 だったら、日本でやってみましょう!ということでこの展示会がスタートしました。
 「子供に自由に新しい体験をさせていきたい」「形なんてなくていい、材料だけ与えて環境を作ってみようよ」という私の意見と、「日本の人に展示会として見せるからには、しっかりと美しい、子供たちの頑張った姿を発表しなくちゃ」という先生の意見とが、行き交います。先生のリクエストした画材と、私の考えている画材と、双方をニバルレキレの予算で用意して、毎日の作品づくりが始まりました。
 子供は隣の子供のやることを気にする子もいれば、夢中になる子、誰もいないときでないと描けない子、筆はだめだけれど、フィンガーペインティングならできる子・・いろいろです。いろいろな取り組みの姿には、日ごろの子供の性質がよく出ていました。また、作品づくりを通じて、その子へのかかわりに大切なことを学びました。「自信を持つ体験を増やす」の一言では抽象的すぎます。具体的な言葉かけや、部屋の設定、静けさの用意、隣での大人の動作、全体への声かけ・・・子供は本当に何が美しくて、気持ちがよくて、楽しいかをちゃんとわかっているんですね。のびのびできない理由の一つは、孤児たちの場合は、やはり親がいない寂しさ、病棟に入る以前の虐待などのトラウマを抱えた心、友達や向いの大人の病棟から日々白く包まれた遺体が運び出される光景、ときどきやってくる白人家族が里子選びする際の配慮のない言葉・・そういったもので、自信が持てずに不安を抱えている子供がたくさんいるのだということも、改めて作品づくりの中で感じました。
 そんなことを先生と話している中で、展示会のタイトルを先生が私にプレゼントしてくれたのです。「子供と考えたのよ。ニバルレキレよ! この子供たち、南アフリカの子供たち全員に必要なメッセージよ!」とうれしそうに。
 展示会ニバルレキレ展と同時に、私は自分のホスピスや貧困地区での活動全てを、ニバルレキレの活動として行っていくことを決めました。7年目になり、展示会も全国各地をまわり、ニバルレキレの仲間も増えました。
 この活動の素敵なところは、仲間が皆「『ニバルレキレ』が南アフリカの人たちに本当に望まれていることは何かを、じっくりと考えること。持てるものを分かち合う勇気をしっかりと持つこと。本当に一緒に生き、死んでいく人生を歩むこと。結果・成果・効果といったものを考えながら動くことよりも、今という時間をともに生き寄り添い続ける中での出会いや喜びや苦しみをともにすること。」といったことを大切にしていることです。
 この考え方だと、なかなか支援のお金が集まらなかったりもするのですが、少ないけれど、とても心のこもった支援をしてくださる方たちと出会うことができます。
 このブログは「私」(一応「リラトおばさん」ってことで。)が書いているけれど、私はニバルレキレではありません。南アでたくさん手伝ってくれているKさん(名前・・決めなきゃ)もニバルレキレではありません。いろいろなプロジェクトも、ニバルレキレではありません。ニバルレキレという言葉のもとに集まった、たくさんの心や支援の具体的な形が、現地のアフリカの人自身によるプロジェクトに使われます。個別の家庭のケアに使われます。
 またこの先は形を変えていくかもしれないけれど。ニバルレキレが大切にしている価値観に沿うことだったら、どんどん新しいチャレンジもしていきたいと思っています。
 
 それから、作品ですが展示会をひらいてみたい、という方に貸し出しをしています。大切に、作品の向こうにあるアフリカの皆の心に触れてくださる方をお待ちしています。
 いろいろ調べると、わかると思うのですが、一つは「アフリカ日本協議会」という団体のサイトから申し込みができます。あとは、このブログへのコメントをしてくださったら、お返事します。もっと良い
方法も考えますね〜。

 今日は、ちょっとアルバムその他展示会の内職をまだ続けなくては。アルバムを見ていると、会いたいけれど会えない人がたくさんいて・・。この世での命を終えた皆が、私が真摯に生きているかどうか見守ってくれています。がんばろう。皆に会いたいな〜・・。一緒に過ごした時間の空の青さ、芝生のにおい、ランチを知らせるベルの音、ゴスペルの歌声、空気の熱さ、病室のひんやりとしたタイル、朝焼けの中で語り合ったこと。下手っぴな写真だけれど、皆が生き生きと動きだし声や仕草、会話が蘇ります。