あたたかな声

その人は、大切なニバルレキレの仲間。

いつか会いたい人。会えると思っている人。

いつもあたたかな声をしている。そして誠実さが伝わってくる美しい文字で手紙を書いてくれる。お習字でいうところの達筆とはまた違った、美しさ。

初めてもらった手紙は何年も前になる。出した手紙も。

南アのエイズとともに生きる人のために、医療費など確実に顔のわかる誰かのために使って欲しいから、といくつかのメディアやNGOを経由して彼女の手紙とカンパのお金がニバルレキレに届いた。

経由したどの団体も、いくらでも寄付する先の情報は持っていたであろうに、ニバルレキレへ託してくれた。そのことも感動だったし、そのように大きな団体のスタッフの気持ちを動かすだけの行動をとった彼女という人間の、強さにも心が揺さぶられた。

ニバルレキレは小さな活動で大丈夫。確実に人と人がつながって、一緒に生きていくことを目指していくことが第一だ。そう確信する1つのきっかけになった出会いだった。

今ではお互いの抱えているもの、それをどう呼んだらいいのかは二人で確認したわけではないけれど、他人がきいたらもしかしたら重い荷物だと思うかもしれないもの。そんな生きていくうえでの秘密のようなものも明かしあっている仲になった。

先日ブログで紹介したことばは、「傷を愛すること」についてだった。
それから今ニバルレキレがとりくんでいる1つのワークショップでは、この先、「スティグマ」について語り合っていくことになるだろう。

私自身、多くの場面で自分の背負っているもののことで、自己嫌悪に陥りそうになったり、混乱したりする。自分自身の「色眼鏡」が私の中にあるものを、自分に属するものを、愛しみきっていないことを知っている。この仕事をしていくうえで、自分には必要な体験を、世界から与えられたのだと思いながらも、ときに投げ出したくなりそうな何か。

南アのエイズとともに生きる人々の喜びも苦しみも、それは遠いアフリカの話でなく、私たち自身の問題。だから、伝えなければと思う。

彼女とそんなことを語り合ったことはまだない。

でも、彼女のあたたかな声が、私の傷に優しく触れてくれる。まるで手をそっとかざすように。それだけで頑張ろうと思える、魔法のような声だ。

いつか会いたい人。
きっと会いにいこう。

そのときまでに、もっと私もあたたかな声で、誠実な言葉でことばを発せられる人間になっていたいと思う。

年の瀬ですね。

皆さんの声であたたかくなる誰かに、是非会ってくださいね。電話してみてくださいね。