涙が海を渡る。
震災から早くも2週間がたとうとしている。
多くの命が、今もまだ家族と出会えずに海をさまよい、あるいは瓦礫の下で涙を枯らしている。
頭の中を「救えなくてごめんなさい」と亡くなられたお年寄りの方に手を合わせて謝る、津波の被災者の嗚咽が、2週間ずっと響いている。
どうあがいても、彼女の痛みを、私が取り除くことができない、とわかっている。
せめて、彼女の嗚咽と一緒に日々を暮らしていこう。と思った。
そんなことしか私にはできない。
また、私たちが無関心でいなければ、防げたのではないか?との思いに、うまくコントロールできない燻る怒りを体の中に抱えながら、原発事故のニュースを追っている。
最近の私は毎日、久しぶりにいろいろな夢を見るようになった。
過去に鬱病が最悪だった時期は山のように夢を見た。
夢で、1日分の体力を消耗しきるような、くたくたになる夢ばかりだった。
もう何年も、睡眠薬のお世話になっている。
夢見が多くなる=自分には良くない兆候なので、この数日はしんどかった。
忘れていた多くの記憶が蘇る。
そして会わなければいけないと思いながら月日の流れに身を任せている大切な人たちが、夢の中で逃げ惑っていた。
誰も救えなかった。
必死で子どもの手だけを握っていた。
救えなかった大切な人。
日本の誰かでもあるし、南アフリカの誰か。
看取った人もたくさん夢に現れた。
ニバルレキレの活動、できるのだろうか。
南アの活動を私は日本でちゃんと支えられるのだろうか?
南アに加えて、震災に対して何かできるのだろうか?
打ち出しかけている支援を責任もってやれるのだろうか?
そんな1週間が過ぎ。
昨日、サンゴマをしている南アのファミリーから電話があった。
サンゴマをしている実質的な私のお姉さんが夢を見たのだ。
その夢の中で私が泣いていたという。
夢の中で泣いているリラトをエイズホスピスの患者のところに連れていってあげたのよ。いつもみたいにね。そしてそばにたくさんの食べ物を用意してね。子どもたちを呼んだら、集まってきたわ。
ほら、大丈夫、みんなここにいるんだから。
そう世話したら、リラトが泣き止んで、笑ってくれたの。
それで、私がまた泣いているに違いないと思って電話してくれたのだそうだ。
彼女の夢見はこれまでにも何回もあたっている。
彼女は地震がどういうものかも体験したことがないし、海を見たこともない。原発なんてわからない。
でも、日本でただならぬことが起きていることはニュースで知っている。
そのニュースと私が関係あるのか、ないのかは知らないけれど、
サンゴマとして、夢の中や、祈りの中で、
今、私たちのために、痛みを分ち合ってくれている。
彼女がそうして、痛みをシェアしてくれたことで、何か救われたような、ねっとりと重たく背中にのしかかってくる罪業感のようなものが、
ぽろりと落ちたような、不思議な今日の感覚。
小さなことを、しっかりとやっていこうと思う。
大切な人のために。