避難者と被災者 東京武道館(2)

東京武道館の中に入ることはできなかったが、表の喫煙コーナーで何人かの避難所で過ごされている方と話をすることができた。

その中の一人の若い男性が話してくれたことが、とても印象に残った。

彼はこの避難所に奥様と2歳になる息子さんと、福島県いわき市から自主避難してきた。
彼の住む地域は避難勧告の20キロ圏内から外れているのだ。
地震による自宅の倒壊などはないものの、幼子を抱えての、放射能汚染の恐れを特に奥様が心配され、避難を決めた。
また、避難を決めた理由は他にもあった。
復旧のめどの立たない断水と、風評被害によって物資が届かなくなってしまって生活に支障をきたすようになってしまったのだ。

運送の仕事は福島と仙台を結ぶルートを担当していたので、いつ業務再開するのかすらわからない。

彼は「断水さえ元に戻るなら戻りたい」と繰り返した。
断水が戻ったとしても、水質の問題その他、多くの不安があるのでは?という問いには、神経質になりたくない。戻りたい。いわきに残っている友人もいるし、原発で働いている友人のことも心配だから・・。でも妻は戻ることを怖がっているし、自分が一時様子を見にいくことにも反対している。今、困っている・・とのことだった。

東京武道館の中の畳の武道場で過ごしており、ついたてをつかって、プライバシーが少しでも確保されるようにはなっているが、やはり避難所ではすべてが筒抜けになってしまう。

そして誰が困っているのかがわかる分、自分は困っていないのではないか、と申し訳なく感じてしまう気持ちを話してくれた。

相馬市から避難してきた方たちは家も失っている。だからその人たちの、公営住宅の申し込みやホテルの申し込みを、自分たちが邪魔するわけにはいかない。
そう彼は何度も言った。

彼も被災者。でも、より大きな被災をした方の前で、自主避難している自分たちの立場に居心地の悪さを感じているようであった。

武道館のガラス扉に、「グランドプリンスホテル赤坂」の抽選当選者の番号の掲示がされていた。
その掲示の横に、「福島から避難されてきた方」「震災で被災された方」と2種類の表示がされていた。
それを見ながら、彼がつぶやく。「被災した人と、避難してきた人とは、違うんだ・・」

彼も被災者なのに。
日常が奪われている被災者なのに。

しばらく話しているうちに、都の職員がその掲示板のところにやってきた。

彼に何か気持ちの変化があったのだろうか。
自主避難の家族でも、ホテルに申し込めますか?」と職員へ彼が声をかけた。

確認してきますね、お待ちになって下さいねと、その職員も彼同様にとても丁寧な対応で、館内へと走っていった。

「ホテル、入れるといいですね。」
「ええ、その方が子どもと嫁が助かります。」

よかった。
何も状況が変わったわけではないけれど、彼が相談する権利が自分にあることを少し思い出してくれたように見えた。