石巻市湊区の窮状(1)

以下の内容をたった今知りました。
デュークさんのブログからそのまま転載させていただきます。

広大な範囲で多くの方が被災されている、今回の震災と津波による被害。
原発事故による安全面の不安を抱えながら、私たちはニュースを追い、同時に今日を普段どおりを心がけて生きています。

福島の方たちはどんな気持ちで今を生きているのか、胸がしめつけられます。
有機農業を行い、何年もかけて土を改良してこられた農家の方が、大地、そして全てが汚染されてしまったショックから自殺されたというニュースを友人からききました。

放射能汚染という衝撃と別に、私達がしっかりと知る必要があるのが、
津波で全てが破壊された方たちがおかれている現状です。

以下の記事は、被災地である石巻市の湊区で医療にあたっている小野沢医師からジャーナリストの木村黄太氏に託された声です。
避難所の中心となっている学校は、春休みが終わり学校を始めるために教室の避難所としての機能を閉鎖する必要性が出ています。
子どもたちは、どんなときも子どもらしく生きる権利が保障されなければなりませんから、学校が再開すること自体はとても大切なことだと思います。

けれど、教室が避難場所として使えなくなり、体育館という大きな部屋で様々な状態にある人が過ごさなければならないとしたら、多くのストレスが避難者に生じます。
衛生面や、医療のアクセスについても、この湊区はいまだに非常事態が続いている、と書かれています。


これは困難にある方の状況の氷山の一角なのでしょう。
メジャーな報道を追うとき、私たちは、震災の中で希望を見出せそうな記事に、ときに誘導されそうになります。

希望は必要。
でも真実を知った中で、見出さなければならない。
目をつぶっていてはいけない。
耳を済ませなければ。
そう思います。


募金をする以外にも、私達にできることがまだまだあるのではないでしょうか?

私が個人としてこの問題にできることを今から少しずつ行動し、それから(2)を書いてみたいと思います。

以下、デュークさんのブログからの転載です。

以下、ジャーナリストの木下黄太さんのブログより転載します。
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石巻の避難所で救援活動にあたっている医師からの警告

石巻の湊地区でおきている事を、ある医師からメールで伺いました。ここでおきていることと、福島第一原発についておきていることは、今の社会の、国の根幹に底が通じることだと思いました。まず小野沢医師のメールをお読み下さい。ほぼ原文のままです。この後小野沢先生に取材もしています。
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石巻にて、怒りと悲しみを込めて

亀田総合病院 小野沢です。
先月29日から石巻に入っています。4月6日、遊楽館という避難所で当直をしていました。
ある男性が、苦しそうだと言われ、診察をしました。すでに呼吸停止、共同偏視があり、何か大きなイベントが起きたことは明らかでした。救急車の到着は30分後、彼は泣き崩れる妻の脇で口から血を流しながら息を引き取りました。

湊中学という避難所に行きました。リウマチの女性が手首を腫らし、痛みに耐えていました。受診の手続きを取りましたが、彼女はその避難所から沖縄への移住を希望しました。沖縄は県をあげて受け入れをしていると、あるMLで知ったからです。沖縄の担当者に連絡をすると、『罹災証明申請書のコピーが必要です』『沖縄の受け入れは、災害救助法ではなく県の予算なので、5人まとまったらはじめて飛行機に乗れます。飛行場までは自分できていただく必要があります。そこでチケットをお渡しします。』『申込書はインターネット上から、書式をダウンロードしていただき、印刷して書きこんでください』と、担当官に告げられました。非常に困難な条件で、少なくともパソコンをプリンターを持った援助者と、飛行場までの足、罹災証明書の申請を行うために市役所に行くという手順をその足が腫れた女性が手配しなければ不可能なのです。責任者の方とお話ししましたが、埒があきませんでした。

湊中学は、瓦礫の中にあります。入り口にはニチイのデイサービスセンターの車が3台、見るも無残な形で横付けになり、津波に洗われたホコリとヘドロがそのままになっています。そこでは避難途中の方がかなりの数亡くなられたとのことです。近辺には人影はまばらで、地震から1ヶ月ほどたった現在でも、車が家に突き刺さり、魚の腐った匂いが立ち込めています。湊中学避難所には電気も、水道も、下水もありません。便はダンボール製の看護師手作りの便器にして捨てています。一ヶ月経とうと言うのに。

果たして、これを市の職員が中心になって解決できるのでしょうか。
彼らも罹災しているのです。明らかに疲弊しきっています。毎日、市民から多くの非難をあびながらの仕事です。
あまりにも広範です。あまりにも人数が多すぎます。未だに、自宅避難者の詳細も分かっていません。

市内の3地区の在宅避難者の調査をします。ボランティアを東京、千葉、宮城などから60名集め、市の保健師さんに情報をもらいながらの仕事です。しかし、市内のごく一部なのです。このデータが市全体の被災者の推計に使用でき、少しの被災者のためになり、そして一番には今後の計画の助けになればと考えての行動です。

ふと、これは私の仕事だろうかと思うことがあります。

国会議員の皆さん。是非、立ち上がってください。やっている、と思われるのであれば、そのやり方がどこか間違っているのです。上手くいっていません。非常事態宣言を地区を限定して発するのもひとつの方法でしょう。

とにかく、物事が遅きに失しています。
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このメールをもらって、官邸の参与にメールを転送し、直接目を通して、現状を伝えてほしいといつものように話しました。彼は「こういう話は次々、ぼくのところにも来ているのですよ。なんとかしたいけど、まったくここは動かない。菅は決めないよ」と嘆き節ばかり返ってきます。
そして、小野沢先生とも話しました。
 石巻の湊地区にいます。木下さん。避難所は学校が始まりだすこともあって、教室で閉鎖が始まっているのですよ。そしたら、体育館しか使えない。体育館は寒いんですよ。疲れる。市内から650人があぶれていて、かなり狭いんです。避難民のうち、特に高齢者は限界に達していて、ノロウイルスの蔓延は防ぎようがない感じがします。特に体育館はさっと広がる。お年寄りや幼い子どもからやられていく。防ぎようが無いんです。そんなレベルで蔓延すると一つの体育館で一人が死ぬようなこともおきるんです。教室なら数人規模ですから、まず蔓延はとまるけれど、体育館は一人患者が出ると防ぎようがないのです。皆さん、体力が落ちているんです。メールで書いた人は脳出血で亡くなったと思います。
 こういう言い方をすると大変失礼にあたるかもしれませんが、尋常な状態で皆さんないんです。極端に言うと、地下街の浮浪者にだんだん近づいてきている感じです。避難所は、石巻において、特に湊地区は最もひどくなりつつあります。ゴーストタウンのような感じです。屋根上に大きな駐車場があるスーパー、エレベータホールに二十人の方が住んでいるままで、仮設トイレを設置はしているんですが。ところが、ちょっとはなれたところでは被災していないエリアもある、普通にホテルは営業しているんですよ。ちょっと行くと普通なんです。二、三日交代でくる公的な機関の支援者が借り上げていてそういうところに泊まっているんですよ。なんで被災者が体育館に寝て、公的な人達がホテルに寝るのか理解できません。こういうホテルや遠隔地のホテルを国が借り上げて、被災者を泊まらせたほうが話が早いんです。
 こういう場所から思い切って全面的に離れたほうがよいとは思いますよ。でもなかなか離れたがらない。居たいんです。その理由は、家のかたづけと頻発している物取りの対策なんです。それでも遠隔地のホテルから週二回でも現地にいけるなら、本当はさらなる避難を承諾すると思います。最初はこの地を離れないといっていたんですが、一ヶ月たってずいぶん変わってきました。国がホテルの予約を全部借り上げて、徹底してやればいいんです。ハッキリ言って今も非常事態は継続したままなんです。私有財産権も一部制限をかけるしか現地では方法はありませんよ。なんで東日本壊滅と総理自らが言い出した癖に、今、非常事態宣言もしない感覚が理解できません。
 ここにいて、原発のことも凄く気になっているんです。僕は今回、すこし遠隔地に避難させるスキームをやろうとして東北にいますが、その点から考えても、原発もシリアスな状況です。僕らは、もともと千葉の鴨川ですが、福島第一原発の不測の事態を考えると、関係者の子どもたちなどを西日本に避難させられる様に拠点の準備だけは既にしています。当然だと思います。さらにこの状況で浜岡原発を止めないと、万が一、何が起きてもおかしくないんです。あの立地はさらにシビアです。今、こんなことが続いているのは本当に理解できません。
 僕の見ているところでは、ウンチを紙で丸めて捨てている人がいる、なのに近くの温泉旅館では普通に宴会をしていてるんです。温泉旅館には被災者が行くべきなのに。日本の社会はなんなんだろうと思いますよ。民主党を応援していたけど、もうこんなことを一ヶ月近くも放置しているのを見ていて、ほんとに耐えられないんですよ。避難所を体育館でもきちんとした設備のある地域まで移動させる、人々を強制的に安全な場所へ移す。「バスで送ってください。もう一ヶ月も経っているんですよ。」と。さっきの余震もかなりゆれました。まさに現地は”DAY AFTER TOMORROW”の世界です。阪神大震災は木下さんは現地に行かれたならわかりますよね、あの時はボランティアがかなりいましたよ。緊張していたけど、人間が信じられた。今回もいるんだけど、エリアが広すぎて、目立たない。分散しているからかもしれないけど。だから、荒涼とした空間に、悲惨な状態が続いているんですよ。映画でしか見たことのないような世界が広がっていて、漠たる不安が収まらないんです。避難ということが津波の被災地でもきちんといまだに行われていないのです。さらに原発もおさまらない。これが現状なんです。

小野沢先生は遠隔地避難や避難拠点の構築という観点もお持ちの医師で、こうした津波の悲惨な現場でぎりぎりの活動を続けている方です。避難という観点から見た場合、今の政権が、津波の避難所の構築も機能していないという認識を聞くと、原発も含めたトータルとしての避難という考えに到底たどりつかないだろうという現実をさらに思い知らされます。津波による恐怖が続いていることと、原発震災の恐怖も、その原因のみならず、対応についても全く同じ感覚があるのだということを思い知らされました。本当に恐ろしい話です。

デュークさんのこのブログはこちら
http://ameblo.jp/dukeearl/entry-10860341487.html#cbox

木村黄太さんのブログはこちら
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927
木村さんはこのブログでは主に福島原発の問題を、ジャーナリストとして発信されています。