小さな炎(5)

この世界の中にあるたくさんのマイナス表現。

ネガティブな考え。

陰湿なもの。



大人の使う言葉や態度を、子どもたちは知らぬ間に吸収して
自己評価につなげてしまうことがある。

それは日本もアフリカも同じ。


フィアメーラのいる施設には、いろいろな人間がやってくる。

ボランティアだけでなく

取材や、里子探しや、寄付目的に施設を見に来る人も多い。
それらの人のほとんどは、英語を使って施設内で会話をする。

フィアメーラは英語ではっきりと

「Ugry(醜い)」と言った。


施設に来る人によっては、あからさまに指をさして
「あの子かわいいわね」
などと、まるで買い物に来たかのような里子探しをすることもあり、
殴りたくなることもしばしばだ。

相手が白人だと、アフリカ人のスタッフは
後ろで苦々しく眉をひそめることがあっても、
悲しいことに注意をしない。

できないのだ。

大きな寄付金を逃すことで、大人のエイズ患者たちや
HIVに感染した脆弱な子どもの生活の質を落とすわけには
いかないから、どんな相手であっても
こらえて我慢する。

それから中には、もっと現実的なところで
白人たちの前では萎縮してしまうアフリカ人スタッフもいる。
過去のアパルトヘイトという歴史のためか
自分達の関係に、上下を見出してしまっているスタッフが
この施設では多いことは確かだった。

それらの大人たちのやりとりを
子どもたちは大きな瞳で、すべてを逃さずに見つめている。

フィアメーラのように頭の良い子は、
たとえ直接何かを言われなくとも、何かを感じているにちがいない。


「フィアメーラの何が醜いと思うの?」と
思い切って尋ねてみた私に、彼女は「これ」と
自分のあごにできている大きなコブを指差した。

確かにそのコブは悲しいことに以前よりも腫れてきていた。

そして顔の左右の輪郭が大きく違ってしまっていた。
コブのある右側の頬の輪郭は、私が幼いときに読み聞かせをしてもらった
こぶとりじいさん』の挿絵のように、いびつな形を描いていた。

それを症状として心配することはあっても、
見てくれの評価として意識して眺めたことはなかった。

それとも私にはそんな視線があっただろうか。
スタッフにはあっただろうか。


自分が大人になるにつれて鈍感になっていた

「他者から見た自分」や
「コンプレックス」
といったもの。

たしか悩んだのは思春期。

フィアメーラは4歳。


小さな女の子が、他の子にはない大きなコブを
痛みや病気の恐れとは、別の感情で

「ない方がいいもの」と真剣に考えてしまっているのだった。


これは、やっぱり大事件だ。
解決しなくては。