冬のジョバーグで。

冬の柔らかな光。

カラカラと枯葉の音が優しく話しかけてくる。
久しぶりの冬のジョバーグ。

ホスピスでは人が亡くなりやすい季節。

隣のソファで少女たちがDVDをみている。
噂話にクスクス笑い合いながら。

久しぶりに会った二人が私の髪の毛をなでながら
「白髪が増えたのね」と優しく笑った。

そう、なんて多くの月日が流れたことだろう。

私は年をとった。
本当に。つくづくそう思う。

1人の少女はもうすぐ母親になる。
もう予定日も間近で、お腹の子どもは下の方へ降りてきている。

彼女はタウンシップでの私が最初に出会った女の子。

よく、庭先のタライで、彼女に髪を洗ってもらった。
当時10歳だった彼女には、私を世話することに、人形遊びのような、
不思議な楽しみがあったみたいだった。
小さな布団で、彼女とママと3人で、くっつき抱き合いながら眠った。

当時彼女とママには、ママがいつエイズで死んでもおかしくないという
切実な現実があった。それから、切実な貧困もあった。

それでも私が一緒に暮らすことを受け入れてくれた。
支援するわけでもなく、ただ一緒に暮らして彼女たちを
見つめていたかっただけの日本人を。

トラブルばかりのママの人生。だけど彼女はママが大好きだし
ママも彼女を溺愛している。

もうすぐ二人に血のつながった家族が増える。
なんだか不思議だ。
二人には、二人きりの姿の印象が私には強かったから。

えりこもとうとう
おばあちゃんね。

今回の南アでは、何人もの実質的に我が子のような、
エイズの影響を受けた10代の子たちに会っていくのだが、
その中で、彼らに生まれた赤ん坊、生まれる赤ん坊を抱くという
大切なイベントが待ち受けている。

一応、私のような奴でもゴッドマザーらしい。


久しぶりに会う子ども達。多くはエイズ孤児の子たち。
レイプという行為によって生まれた少女もいる。
今隣で笑っている少女たちの1人は、親だけでなく
兄弟もエイズで亡くし、一人ぼっちでこの世界と対峙している。
子どもたちと私たちは、お互いにいつしか出会い、つながりあい、
家族のようになって生きてきた。

私たちにはお互いに、お互いが必要だったのだろうか。


最初から何か物語が予定されているわけではない。

いつのまにか、何かが起こり、つながり
紡がれていく。

後からその意味に気づき、そして物語のように
人生が流れていたことに気づく。


自分の中で何かを整理していく時期が
きているように感じている。

ニバルレキレ、という活動はもちろん続けていく
のだけれど。

ニバルレキレと並行して横たわる、自分自身の、生きるための
物語を。