死に寄り添う

2003年から向き合い続けている、南アフリカ共和国。私たちが活動している場所は、ハウテン州のヨハネスバーグ市(地元っ子は「ジョバーグ」「ジョズィ」と呼びます)の郊外。隣接するエクルレニ市にはたくさんのタウンシップがあり、田舎や他のアフリカ諸国から流入する人でその人口は膨らみ続けています。
 タウンシップというのはアパルトヘイト時代の旧黒人居住地区。差別が撤廃されたからといって、すべての人種が融合しての平等な街づくりが行われてはこなかったので、タウンシップ=アフリカ人が主に住んでいると考えてよいです。なかにはインド人の多いタウンシップもあるし、白人がゼロではないですが・・。
 そのタウンシップの合間にはスクォッターキャンプという不法占拠の広大なスラムが広がっています。

 これらの地域で、ニバルレキレは活動しています。スタートがエイズホスピスでの感染者との出会い・苦悩の分かち合い・死と向き合う日々に寄り添う日々から地域へと活動を広げた経緯もこともあり、ニバルレキレは本当にたくさんの人の死に向き合ってきました。もちろん、たくさんの子供の死にも。

 南部アフリカでのエイズ感染者の数や死者の数、遺児の数ならパソコンで検索していけば見つかります。文献も英語も含めればたくさんあります。
 そうではなくて、ひとりひとりが輝ける自らの命とどう向き合い・感染を受け止め・死を迎え入れていったのか。どんな人生がそこにはあったのか。残された遺族や遺児がどのように死後の数年間を、あがき、苦しみながらも、喜びや希望を見つけようと努力しているのか。
 そんな、さまざまな私たちの見てきた、そして今も向き合っている死の風景についても話していきたいと思っています。
 今日は、一つの詩を紹介します。
 大好きな詩人 タゴールによるものです。

『父が葬式から帰ってきた。
七歳になる息子は窓辺に立っていた。眼を大きく見開き、金色のお守りを首から下げ、その歳にしては難しすぎる思いで頭がいっぱいだった。

父は息子を抱き上げた。息子は尋ねた。「お母さんはどこ?」
父は空を指さして答えた。「天国だよ」

少年は空を見上げ、長いことじっと見つめていた。彼は途方に暮れ、遠い夜の中へと問いを投げかけた。「天国はどこ?」
答えはなかった。星たちが、無知の闇が流す熱い涙のように見えた。』
       〜タゴール詩集「とらえがたきもの」より〜*