ノムサ(3)

 ノムサがいなくなりました。

 彼女をいったいどこで探せばよいのでしょう。どこから来たのか、どのタウンシップやスクォッターなら詳しいのか、検討がつきません。たとえノムサの名前が本名で、IDをコピーしてあったとしてもノムサをその情報から探し出すことは困難です。ちなみIDは個々人が取得するもので世帯が記載されているわけではなく、日本の証明書関係でいうならば、パスポートと似た形態をしています。
 ファーザーは車の用で出かける際には常に窓の外に目をこらして、路上に座り込む女性を見ては車のスピードをゆるめていました。季節は8月、南半球のアフリカ大陸の南端にある南アは季節が日本と逆になります。8月は冬です。ジョバーグは標高の高い都市なので、8月の夜ともなればかなり冷えこみ、日中でもセーターをきてストーブやヒーターがある家庭に集まり暖をとる時期です。ノムサの体調が心配されました。
 
 3週間近くが経過した頃に、ファーザーの携帯電話が鳴りました。相手はホスピスのケアギヴァー(介護職)のテンビです。テンビがなんと、ノムサを見つけ出したのです。
 テンビはとても温かく明るく、彼女が現れるだけで場が華やぐ存在です。若いのにスキルも高く、患者からの信頼の厚いシスター(看護師やケアギヴァーのこと。修道院のシスターとは別。)です。誰にもこびるようなところがなく、常に目の前の患者さんのことに集中しています。かといって真面目一辺倒ではなく、歌い体を揺らして踊り、そこそこに仲間のゴシップにもつきあい、そしてとてもお洒落で髪型には特別に力を注いでいます。アフリカ人独特の編込みヘアのスタイルも、彼女オリジナルではないかと思えるくらい、初めて見るような編込みスタイルを見せてくれ、朝の病棟の話題をさらいます。
 ハートがあっても、不器用で愛想が悪い職員もいれば、看取りの日々に燃え尽きてしまうスタッフもいるのですが、彼女の場合は非常に自己のケアがきちんとしていて、見習いたいことばかりです。他の職員とのバランス感覚にも優れていて、誰ともトラブルを起こしません。必要以上に情熱を傾けたり、患者さんに取り計らいをすることで、病院内が乱れることがないよう、配慮しながら、こっそりと個々の患者さんが「私を大切にしてくれている」と思えるような、ちょっとした言葉かけや、小さなプレゼントや、患者さんの地元でのメッセンジャーといったことをしている姿をみかけます。彼女のような存在は本当に「南アの」「ホスピス」のような誰もが必死で生きている場所では、患者さんを安心させ守ってくれるのです。ファーザーが私に一番最初に、「彼女は信頼できますよ」と教えてくれたシスターです。
 テンビはファーザーの期待に応えました。ノムサの悲鳴は、ファーザーだけでなくテンビにも届いたのですね。そして、アフリカ人ならではの土地勘と情報源で、テンビはみんなに内緒でノムサを探していたのです。
 テンビは休みの日を、病棟での患者との会話から当てをつけては、ノムサ探しに歩きまわったそうです。そして、ホームレスに戻っていたノムサを、とあるスクォッターキャンプとタウンシップの境の路上で見つけ出したのです。テンビはノムサの腕を握って逃がさない状態のままでファーザーに電話をかけてきました。ファーザーは上気した顔で予定を変更して司祭館を飛び出して二人のもとへ急行。その日の夜にはホスピスへ、ノムサは戻ってくることができました。
 ファーザーは、全体のミーティングでは身寄りのない患者の退院を以降勝手に決めることは許さないと話しました。患者への心のない対応をするつもりなら、病院をつぶして単身者向けのホステル(宿泊所)にした方がよほど有益です、とまで宣言していました。一方でハウスキーパーの女性がプライドを損なうことがないよう、彼女とも一対一で、長い時間面談をしていました。

 戻って1週間、ノムサはファーザーとテンビ以外は誰とも口をきかず、最低限の食べ物を口にして、そして眠り続けました。
 ファーザーとテンビ。この素晴らしい二人が、ノムサの心を理解し愛し、探し求めた3週間に、私は多くのことを感じ考え課題を与えられました。そして自分がノムサの人生の傍観者に過ぎないことを心底悟りました。ノムサだけではありません。全ての、この南アの人たちの人生の私はただの傍観者でした。
 ノムサは、私に「受け入れること」に加えて、「痛みを一緒にしっかりと感じること」の難しさを教えてくれた女性です。そして、傍観者でなく「一緒に生きていく」ことができるのだろうか?という大きなテーマを、この頃の日々から受け取りました。ニバルレキレの始まりです。

 ノムサの話はあと1回つづきます。