ノムサ(2)

ノムサのことを書いたのは先日の6月8日のことです。
その後のノムサのことを今日は書きます。

一時帰国から戻った私と、ノムサに交流が少し生まれました。
ノムサは決して心を開いているとは思えないのだけれど、会うたびに私の名前を歌うように呼び、ときには抱きついたり、手を握りながらテレビを見たり、ソファでもたれかかってきたり、少しだけ甘えたような仕草をするようになりました。といって、一方では相変わらずスタッフ相手にすごい剣幕になったり、他の患者となにやらゴシップで盛り上がり、顔をしかめていたり。お酒も内緒で飲んでいます。そんな時は私とはもちろん口もききません。
 ノムサの心にどんな変化があって、話すようになったのだろうか、と不思議な気持ちでした。不器用なノムサが少し心を開いてくれているようにも思いました。握っている手の力を誰も見ていないときに強めたり、誰かとおしゃべりに夢中の最中にじっと私に抱きついていたり、そういった動作は、少なくとも緊張がとれたり、親しくなりたいときにするものではないかしら?なんて思ったりしました。 私もそんなノムサに答えるように、ノムサの肩に手をおいたり、じゃれあったりしながら、ノムサの見つめている世界をよく理解したいといっそう強く願うようになりました。私はきっと出会ったときから、ノムサと仲良くなりたかったのですね。ノムサは甘えるようにはなったけれど、必ず「世話をやいたり、マッサージをしてあげたり、何か力になってあげるのは、私は大丈夫だから他の友達のところに行ってね」と言います。彼女もホスピスにいる以上、体調が辛いことも多いだろう、だからお酒だって飲むのだろう、辛いからスタッフとトラブルも起こしているのだろうと思いましたが、私も「彼女の何かを手伝う」といった類のことは一切しませんでした。
 孤独で、ホスピス以外にどこにも行き場のないノムサ。たとえ、つながりがある人がこの世にいるとしても、そこには戻らない決心をしているノムサ。彼女にとっては、頭にくることがあろうと、このホスピスは自分の居場所として必須で、最後の生きる場所ともいえます。しかも、当時はARV(抗レトロウイルス薬)によるエイズへの効果的な治療にノムサがアクセスできる可能性はありませんでした。HIVに関することは何一つ彼女は語りませんでした。
 不器用な彼女は、自分を嫌っている人が多いことをよく理解していたでしょう。患者によっては、かなり彼女に気をつかっていて、そういった患者さんの愚痴や悩みを私が聞くこともあります。でも、ノムサは相手に合わせることなんてできないのです。ノムサは野生動物のような・・ある意味でとても誇り高い女性です。そしてたくさん傷ついて生きてきたのでしょう。怒りながら、周りを引っ掻き回し、自分のパワーを示すことで、居場所を危なっかしくも作ってきたのでしょう。そうすることしかできなかったのでしょう。
 長いこと彼女と私は言葉を交わすことなく、同じ空間で月日を過ごしたわけですが、彼女にしてみたら、この変な日本人はどう映ったのでしょうか。
 ホスピスではファーザー・ニコラス(根本昭雄神父)は絶大な信頼を集めています。彼は患者やホスピスの現場で働くアフリカ人スタッフの希望であり、心の拠り所です。ファーザーの顔を見ただけで、誰もが幸せになるのです。ノムサもファーザーのことだけは信頼して、誰かに怒られた後はファーザーと話をしていました。
 そんなノムサには、本当はいけ好かなかったかもしれない私が、ファーザーと他のスタッフよりも距離が近い様子をみて、あれこれと考えたでしょう。果たしてコイツは自分の敵になるのか味方になるのか、どうでもいい奴なのか・・・?たいへん慎重に彼女なりに考えていたのだろうと思います。プイと立ち去りながらも、会話をきいていたり、他の患者さんと話したりしたのでしょうか。なんて真剣に私のような存在と向き合ってくれていたのだろう、と彼女には結局伝えることのできなかったお礼と感激の気持ちが、今もふと心をよぎります。
 「一応味方かな・・・」くらいの結論になったのでしょうか。それとも、味方と扱って親しくしておくことで、新しく入ってくる患者たちとの力関係での優位性を維持することも考えたかもしれません。
 別に意地悪に彼女を思っているのではなく、ノムサが大好きなので、考えれば考えるほど、一切語らないほどの壮絶な人生を送った彼女が、誰かと親しくなるためにどれだけのエネルギーを注ぎ、自分の猜疑心と闘っているのだろうか?と想像すると、とても切なくなることが多いのでした。
 そんな彼女が大きなトラブルを連続で起こしました。詳細は書きませんが、病院内の主に白人スタッフを「限界を越えた」というくらい怒らせたのです。私にはわざとやっているとしか見えない行動でした。
「ノムサ心配ですね・・・」ファーザーと夜に話したりしました。ファーザーは病院の運営陣の性質をよく理解していますから、危機感を感じていたようです。
 そんなある日、病院でとんでもないことが起こりました。ファーザーでもなく、婦長でもなく、ソーシャルワーカーでもなく、医者でもなく。なんとハウスキーパーが、ファーザーに気づかれぬように画策して、ノムサを他の施設に移したのです。
 ノムサがファーザーと私にその話をしてきたのは、これから出発するという午後のことでした。昼食の頃に、何かやらかしているなーというノムサの罵声は聞こえていました。でもその激しいやりとりはアフリカーンスとズールー語だったので内容が理解できませんでした。他の患者さんとの約束もありました。行き場のない人が、しかもホスピスエイズ患者が、話し合いもないまま処遇を悪変されることがあるとは思ってもいませんでした。
 そういった言い訳ばかりはたくさんあるものの、要は私は何も察知できなかったのです。何か介入するタイミングを逃して、ノムサにひどいことをしてしまったという後悔と衝撃で途方にくれました。
 しかし、「これが南アフリカでは日常的に起こりうることなのだ」ということを、おいおい理解していくことになりました。ファーザーも、「予測できたのに防げなかった」と自分を責めながら、周囲のスタッフに必死で説得を試みましたが、猶予もなくノムサは、他の施設に移されてしまいました。
 移されたのは、「ホームレスが自立するための施設」ということでした。ハウスキーパーに私は、ボランティアという立場も忘れてつっかかりました。彼女は「身寄りのない彼女が自立訓練できるのよ、いいことでしょう」と言いました。「ボランティアは口出さないことよ」とも。ファーザーに後で、「ここの運営陣に対しては私のいないところで喧嘩しないように」と怒られました。本当に。ボランティアの私を受け入れる窓口となったファーザーの立場も考えず、本当に馬鹿としかいいようがない自分に自己嫌悪の一日となりました。このハウスキーパーは、長いつきあいになる今、いろいろと考えても少なくとも悪魔のような人ではありません。でも、ノムサの一件から、私は彼女の笑顔を信用しなくなりました。
 南アは日本以上に、善悪が混沌としていて誰かが明確に「正義」か「悪者」になるということがありません。混沌とした状態の中で、現実的に今ベターと思える方向へ、常に相手と交渉していく必要性の高い国です。しかしノムサのときは、「こんなのおかしい!」ということで頭の中が一杯になってしまいました。
 ハウスキーパーには、「ノムサは具合が悪くなったらここに再入院できるのよね?」という確認しかとれませんでした。
 ノムサはどうしたでしょうか?翌日、ファーザーと二人でノムサの移った施設に面会に行きました。彼女は「ホスピスが良かった」「でも仕方ない」と寡黙で暗い表情でした。ファーザーがホスピスに戻れる交渉中であることを伝えて彼女を勇気づけ、(ファーザーは実際にこのことで運営スタッフのミーティングで主要スタッフを怒鳴りつけました。)明日も来ることを約束しました。
 ノムサは翌日、新しい施設から姿を消しました。