ウ レーレ

 子供の保育園の子供たちに、今朝も「また寝ぼすけ?」「また起きられなかったの?」と言われてしまった。
 仕事を掛け持ちしていると、日によって出勤時間がちがうということもあって、気合を入れて早起きする仕事日以外は、保育園のお部屋の登園ビリッケツを、仲のいいママと争うことになる。
 あーあ、とうとう日本でもバレてきてしまった(笑)。

 アフリカでは、誰かが私が拠点にしていたゲストハウスに遊びに来たときには、私を見つけるのに苦労する。ルームシェアしているボランティアや、小児病棟の子供や、ホスピスの患者さんやスタッフが、「ウ レーレ」と彼らに教えてくれるらしい。「ウ レーレ」つまり、「彼女は寝てるよ」。
 友人や大人の患者さんの前では取り繕えないので、自分の体質を正直に話して、昼はタウンシップに出かけ、夜は遅くまで病棟で働くし、夜勤もする。でも、子供たちは、5歳以下の子供ばかりだけれど、ちゃんと見ている。「リラト イズ スリーピング!」と嬉しそうに、尋ねてきた友達に教えてくれる。朝、起きていれば愛しい子供たちに会いに行かないはずがない。
 うーん、早起きして、目を覚ましたばかりの子供を抱きしめる日も、自分なりには多かったつもりだけれど、子供には、私は断然、「夕方から夜に元気なママ」というのが定着してしまったようだった。
 まぁ、いいかと思って、夜は無茶無茶に子供を甘えさせて、抱きしめて、そしてベッドへ連れていく。それから、ホスピスの患者さんが眠るのに付き添う。去り際に「明日の朝ね」なんて私が言うと、患者さんが、「朝じゃないでしょ、昼でしょ」と訂正する。
 
 どうしてだろう・・と自分でも困っているのだが、私はあらゆるところで「寝落ち」してしまうという特技を持っている。それでいて夜は睡眠薬がないと眠れない。
 「寝落ち」は学校ならばただの居眠りで済むが、仕事では大変だ。だから、病院勤務の時は「もうだめ」と思うと、救命センター脇の非常階段で5分。仲のいい腎内科の部長に電話して透析室のソファで5分。心臓血管外科の部長(病院の穴場)の部屋で5分。優しい婦長のいる膠原病の病棟で5分。ときには患者さんのところで5分。休ませてもらう代わりに、せっせと自分では働いたつもりだったけれど、どうだったのだろう?

 旅行でも、寝落ちする。
 インドのベナレスでは、ガンジス川のほとりのホテルの屋上で昼も夜もガーガーと寝ていた。何度も猿たちにバナナやタオルやら小物を奪われた。どこにも観光にゆかずに、ひたすら川の音と木々のざわめきを聞きながら、目がさめると、沐浴していた。あとは、路地裏で野良犬に追いかけられて、インド人のおばちゃんがフライパンで戦ってくれたのに感動したことしかベナレスの記憶がない。
 コルカタでは、敬愛するマザーテレサの施設で数ヶ月働かせてもらっていたが、それ以外は、やっぱり寝ていた。歩いて散歩もしてみるけれど、迷子になる。迷子になっては、スラムに入り込んでしまう。あるときは、道が空中で終わってしまったことがあった。建設途中なのか放棄なのかよくわからない、ちょっと高架になったその途中までしかない道路の下を覗き込むと、いくつかの家族が、裸で暮らしていた。目が合ったので、ここで寝ててもいい?ときくと、うなずいてくれたので、道路に大の字になって、ガーガーと寝てしまった。サンダルを道の下に住むお母さんにあげて帰ってきた。ホテルのドミトリーでは、ヨーロッパのバックパッカーたちに、「いつも寝てるけど観光しないの?」と不思議がられた。観光はしなかったけれど、道端を通る子供の爪を切ったり洋服を繕って夕方は過ごした。
 イスタンブールでは、ブルーモスクの外でやはり寝落ちしてグーグーと寝ていると、「あらまぁ、大きな落し物」とトルコ人のおばあちゃんが私を拾ってくれた。そして、そのおばあちゃんの家でかなり長いこと暮らした。
 トルコはどの街でも、おばあちゃんになぜか拾われて、なぜかホームステイばかりだった。道端で寝ている人には、優しいのだろうか。(日本は路上の人には冷たいけれど。)
 
 そんな感じの、なんだか何をしてきたんだろうな・・・少なくともよく寝てきたな・・という旅が多い。
 
 そして南アフリカでも、やはり私は寝落ちしまくっている。
 特にタウンシップで。

 タウンシップは、本当にゆるりとした時間が流れる。ジョバーグは標高が高いので、比較的夏でも湿気もなく過ごしやすいが、いわゆる涼むための道具は、エアコンはもちろんのこと、扇風機もないし、ウチワや扇子のようなものもないので、ただ暑い中を過ごすことになる。幸い、ジョバーグの場合は水道水がおいしくて安全なので、安心して飲める。
 戸建の家は、たいてい裏庭にエクステンドルームといって、本当に4畳半くらいの部屋に電灯と、電気コンセントだけが設備としてある部屋をいくつか建てていることが多い。その部屋を賃貸で貸して、家計の収入の足しにしているのだ。そして、地方から上京してきた人や、比較流れて生活しているような人が、そういったエクステンドルームを借りて生活をしている。
 トイレは外、裏庭に一つ設置されている。このトイレは戸建の家庭も使っている場合もあるし戸建家庭には室内にちゃんとトイレがある場合もある。
 エクステンドルームを借りて暮らしている人のための水道が必ず裏庭には用意されている。その水を飲料用にはバケツで室内へ運び、洗濯は外でタライで行う。
 そういった場所なので、のどが渇いたら、気軽に水が飲めてしまう。もちろんどの家を訪ねても、お金がない場合でも、その家にできる限りのもてなしをしてくれるのがアフリカ人なので、お茶もごちそうになることが多い。
 私の場合は、いくつかのタウンシップでは、HIVアクティビストや、遺族の家庭などに居候をしながら、そのタウンシップのことを理解していく、ネットワークを作っていく、という動き方をしていたのだが、あくせくとリサーチするわけでもなく、アフリカ人同様の、ゆるりとした時間で日々を暮らしていた。
 2週間、ある女性と24時間全ての行動をともにさせてもらったことがあるが、起きてから寝るまでのあらゆることを一緒に隣で見させてもらったことで、かなりタウンシップについてのレッスンをそれによって受けたような気がする。タウンシップライフの師匠は何人もいるが、彼女がその第1号だ。
 でも。やっぱり寝落ちするのである。突然睡魔が襲ってくる。
そして、彼女の家や、お邪魔している初対面のアフリカ人の家で、グーグーと寝る。彼女の家への来客が多いな〜というときは、庭先が芝生ならそこに毛布を敷いて寝ることもあるし、芝生の上で寝てしまうこともある。下が土がむき出しでさえなければ、裏庭の地面でもグーグーと寝る。
 タウンシップは1日中賑やかなところだ。絶えず、誰かが誰かを訪問し、音楽が大音量で流れ、子供の甲高い声が聞こえ、夕方にはテレビのある家に人が集まり、スパザショップの周りは昼は子供、夜は若者やおじちゃん・おばちゃん達であふれ、シビーンという居酒屋では、酔っ払いたちが大騒ぎをする。車の周りでは、不良たちが集まっていて大騒ぎだ。天井ではネズミが走り回る。
 そんな感じなので、グーグー寝ているといっても、眠りは浅く、居候宅に来客があると、なんとなく目が覚める。外の地面に寝ていると、初めて私を見る人は皆ぎょっとするようだ。なんとなく目は覚めながらも瞼を閉じたままで会話をうつらうつらと聞いてみる。
「誰、このムルング」
「友達よ」
「どこで知り合ったの」
「彼女はね、エイズホスピスで働いてるのよ」
「中国人?」「ううん、日本人、ソーシャルワーカーだって、でもいつも寝てんのよ」
「オッケー」
だいたいこんな会話だ。そして、2回目3回目と、顔をあわせることも増えると、放っておかれるようになる。だいたい朝と、昼過ぎ〜夕方は私が寝落ちする時間だが、タウンシップで誰かの家に仲間がフラリと訪ねてくるのも、朝と昼過ぎ、夕方からなのだ。
朝は、「アイロン貸して」「爪きりかして」「子供を預かって」なんて用事でやってくる人が多い。後は、日本人見たさに、子供が5時前にコンコンとドアをノックすることも多い。
昼は、ただ座っていく人が多い。いつまでもいつまでも座っていくのだ。
夕方はちょっと社交的な若者が元気にタウンシップの夕暮れを闊歩する。子供たちも日暮れまで真っ黒になって駆け回る。
そういった皆が、私の友達のところへやってきたときの言葉は、
普通は、
「ゴーゴー(入るとき)」
「グンジャーニ」
「ンギコーナ」
なのだけれど、居候中は、もう一言が加わるようになった。
「ウ レーレ (リラトまた寝てる)」

寝てばっかりのよくわからないソーシャルワーカーというのは、案外にタウンシップでは、悪いことばかりではない。
アフリカ人は家の家事のようなことでは、とてもきれい好きで、きちんとしているけれど、お仕事的なことになると、不慣れで戸惑う人も多い。レイジーな人も多い。
なので、うだうだと、無駄とも思えるようなおしゃべりを延々と続けることや、ゆるゆるとした時間を一緒にして、初めてタウンシップの空気をよそ者でも呼吸できるようになるように思う。
下手に何かを掲げて、それに向かって頑張りすぎたら、それはこちらの価値観の押しつけになってしまうことも多いし、頑張りきれないで脱落してしまう体験をすると、その体験が落とした影がある日、一見関連のないような出来事で、トラブルやひずみをタウンシップに生じさせることになってしまう。
うつらうつらとしながら、タウンシップの様々な音や匂いや会話に耳を澄ましてみる。いつの間にか心地よく眠ってしまう。HIV陽性者やアクティビスト、遺族や遺児たち。私が出会っている彼らの、暮らしの過去の時間にはどんな音が聞こえ、どんな世界が見えていたのだろう?どんな環境で日々を送っていたのだろう? 寝落ちから、目覚めたひと時には、静かにそんなことを考えてから、ヨイショ!と起きて、皆のおしゃべりに加わり、タウンシップのご飯を皆で囲む。タウンシップは断然眠る前のひと時が楽しい。
 楽しい中で、少しずつ各々の抱えるストレスだったり、ちょっとした力関係だったり、経済的な状況だったり、抱えるトラブルや、人間関係の悩みといったものが見えてくる。お互い小出しに出しながら、常に計算もしている。支えあうけれど、ときにジェラシーから誰かが誰かを攻撃することもある。そういったことが、この、タウンシップのご近所づきあいの中で少しずつ見えてくる。タウンシップ内の通りによっても、ずいぶんと雰囲気は違うし、タウンシップが違えば、さらに違いがあり、性格というものがあることも見えてくる。
 頑張らないで、一緒に過ごしてみると、寝落ちしてるくらいの変な奴くらいでいると、かなりの人が、格好つけずに素を見せてくれる。ちょっとずつ、ゆっくりと、それぞれの場所で、それぞれの親しくなった人たちと何が分かち合えるのか考えていく。そんな作業は、今もまだまだ途中だ。
 人にはお勧めできないけれど、「ウ レーレ」と言われるのもタウンシップにいると、悪くない人生かな。なんて思ってしまう。