ノンプメレロ(3)

この前に書いた、ノンプメレロとの会話は、本当にゆっくりと、ゆっくりと積み重ねていったものでした。
例えば、ラマポーザには家族はいるの?ときいた日には、「ママ。」で彼女は黙ってしまったし、子供のことも何日もたってから「子供が二人いるの。」とポツリと教えてくれて、その日の会話はそれだけでした。
ノンプは別にカウンセリングを受けに、このホスピスへ来たわけではありません。病院へ入院したのは、もちろん傷つき弱った心と体を休めるため。ノンプが疎外されてしまった「、地域」と訣別した心を癒すためには、大切なのは、彼女の過去を語らせてあげることなのだろうか?彼女は何かを話したがっている気がするのに、わからない自分がいる。悩みながら病棟を訪ねる日々です。
そんな中で、ノンプは体調が悪くなってきた頃、大部屋から、二人部屋の並ぶナースステーションに近い病棟へと移動になりました。
二人部屋の並ぶ病棟は、自力で身のまわりのことができなくなって、ほぼ寝たきりの日々が中心になった患者さんが過ごします。
入院した日からその病棟に入り、丸1日で亡くなる患者さんもいます。
勘のいい患者さんたちだと、2人部屋の病棟への移動の話に、言葉にはしないものの、自分の死を意識し始めることになる場合が多くあります。個室はないので、隣のベッドで友人になった人が亡くなる姿を目の当たりにします。カーテン越しに死後の清拭その他のケアをしている音がきこえます。
ノンプが、そういった気配から何か怯えを感じていないか、ついつい彼女の部屋も病棟で私が長居してしまう場所です。
ところが、その二人部屋で彼女は「私、友達を作ったわよ」と、ある日笑顔で話しかけてきました。体は限界に近づいていて、ほぼ1日をベッドで過ごし、トイレも女性用のベッドの上で使える尿器を利用している生活です。でも、ノンプは笑顔でした。
隣のベッドにいたのは、リンディーウィ(仮名)、エイズ脳症もあって、ほぼ一日ホスピスの病棟内を徘徊して過ごしています。リンディーウィは、いろいろなことが頭から抜けてしまうので、歩くための歩行器を忘れて、廊下の壁に張り付いていたり、パジャマを着るのを忘れて裸で歩き回っていたり、他の人のベッドに寝てしまったり、庭の外れで眠り込んでいたり、ナースステーションにちょこんと座っていたり・・ほぼ毎日会った瞬間は「リンディ・・あらら」と手をつないで、彼女の行動をリセットして、やり直すお手伝いをすることになります。
リンディーは、私のことを最初から最後まで「チャイナ」と呼び続けていました。そして、「雑用係」と彼女の頭の中に私はどうにかインプットされたようです。ノンプと一緒の部屋に、徘徊(散歩?)から彼女がようやく戻ってきたときには、「私のノンプ、調子はどう?」と必ず声をかけます。そして「チャイナ。」と私を手招きして、お尻のかゆいところを掻いてちょうだい、ビスケットをちょうだい、この布団なおしてね、とちょっとケアギーヴァーの前の愛嬌と違った、威厳を含んだようなユーモラスな言い方で、用事を指示してくれます。
本当に私は雑用のようなものだったので、リンディーの頼みを、ハイハイときいていきます。
そのやりとりが、ノンプには非常に可笑しかったらしいのです。そして、ノンプはリンディーのあっけらかんと、マイペースに、ユラリユラリとホスピスの中で過ごしている姿とスタッフとの会話を、いつも笑いながら見つめていました。
リンディーは、あらゆることを失念してしまって、いろんな失敗は多いものの、ノンプのことだけは「ノンプ」「ノンプ」といつも話しかけます。
ノンプとリンディーの二人は、自分がお水を飲むときには相手に声をかけます。差し入れのビスケットも丁寧に枚数を数えて半分こ。飴玉も半分こ。コップ1杯のジュースも半分こして、飲みます。一人だけで何かを手にしようとは絶対にしないのです。
食事の介助を真ん中でしている私を飛び越して、二人はのんびりとズールー語でおしゃべりをしています。
ノンプとリンディーは、分かち合えるものは、目に見える形あるものでは、お互いほとんど持っていなかったけれど、本当に多くのことを分かち合っていました。
ノンプはリンディーがエイズ脳症で認知に問題がある日々の行動を、優しい眼差しで見つめ、リンディーは、日に日に弱り、食も細り、なめらかな輪郭をつくっていた顔の肉が落ちて、顔の皮膚は今や骨に張り付いているだけにまで痩せてしまったノンプを、「ノンプは私の子供よ」と、真剣に日々の彼女の様子をリンディーなりに私たちに伝え、そしてノンプへ毎日話しかけ続けました。
二人は運命共同体のように残された時間を、誠実に生きていました。

「ノンプ、この部屋に来るとなんだか私も心があったかくなるな」と話したとき、ノンプも、「うん。」と頷いて顔を和らげました。
「ノンプメレロ、素敵な名前だよね。あなたの人生を、私が誰かに「大切な友達なのよ」って話すのは嫌?」
ノンプは大きな目を開いて、「私のことを?」「私の何もない人生を?」と言いました。
「ノンプの人生、ノンプが精一杯生きている時間でいっぱいだったんじゃないのかな。25年ぎっしり必死で生きたノンプがつまっているんじゃないのかな。何もないような気がする中を、ずっと生きてくるのって、そうとう強い人間だからできるんだと思う。どう?」
ノンプはしばらく黙っていました。
エイズだってことも?私がもしも死んだ場合には、エイズでも一人でも頑張ったって、誰かが忘れないでいてくれるの?えり子は私のことを忘れたくないの?」
「そう。」
「えり子、私の名前間違えちゃだめだよ。ノンプメレロ、ちゃんと伝えてね。」

ノンプとこの会話をしたのが、教会へ行った直後でした。
こんな長い会話ができると思っていませんでした。

でも7年、ノンプのことも、みんなのことも、語れない自分がいました。
「語る資格があるのだろうか?」今日もぐるぐると心が迷います。
それに、ぜんぜんうまく伝えられなくて、困ったものです。

本当に、毎日誰かが亡くなっていくホスピスでは、誰もが死と向き合いながら、「ここにつかまっていれば大丈夫」という何かを信じながら、しっかりと生きているんです。 
つかまっていれば大丈夫。そう皆が思っていたのは、その病院のことだったもしれないし、ファーザー・ニコラスかもしれないし、病棟の多くのスタッフだったかもしれないし、今日も自分は生きていると確かめ合うことのできる、仲間の患者さんたちのことだったかもしれない。それらみんなが「神様の手」のようなものなのかもしれない。
多くの人にとって、差し伸べた手の先には、かつてファーザー・ニコラスがいたけれど、ノンプの伸ばした手を握ってくれたのは、リンディーウィだったのかな、と私は思っています。

ノンプのお話はあと1回です。