ある家族と、とても長くつきあってきました。
 ふと、家族が独り言のように語った言葉が心に強く残っています。

 何が辛いって・・・
 彼を失って、何が一番辛いって、
 声がきこえないのよ。

 返事がないの。
 私が呼ぶじゃない。
 何度も呼ぶじゃない。
 
 それなのに、部屋には音1つしないのよ。

 死んだ人と、心の中で会話するっていうけど、
 アンセスターと心を通わせることができるっていうけど、
 私が名前を呼んでも、彼の声は聞こえないのよ。

 この部屋で彼と話したいの。
 だって、そこで踊って、笑っていたのよ。

 エイズって、なんなのかしら。
 
 タウンシップ中がそうなのよ。
 皆、話したい人と今じゃ話せなくなってしまって・・。



 彼女がこう話していたときには、2004年の政府によるARV治療の公費負担の制度は既に始まっていました。しかし、すでに彼女は家族の半分をエイズで失っていました。ARV治療にアクセスできた友人も身近にいます。それでもタウンシップでの毎週末のお葬式の風景は変わりません。
 現在、政府による公費負担の治療にアクセスできている人はまだ全てではありません。

 南アのタウンシップは、まだまだ町中が彼女が言うように傷ついているのです。アパルトヘイト終焉後の傷も癒えぬうちに、襲われたエイズ禍で、町中がどこかしら傷ついている。
 そんな、ため息や涙を耐えた静けさを感じることが、ときどきあります。

 この先、仮に全ての人が治療にアクセスできるようになった場合でも、失われた人は戻ってきません。大切な人の声がききたい。

 喪失感。苦しむ期間は人それぞれですが、悲しみというのは完全に癒えるものではないように、私は思っています。それなりに向き合えるようになる。それなりに意味を持たせる。そうやって現実の生活と折り合っていく。それでも、やはり人は、失った人と話したいのです。その手に触れ、抱きしめたいのです。

 喪失はあらゆる人が経験するものであって、エイズだけではありませんが、「南アで(南部アフリカで)何が起きてきたのか」を考えるときには、会いたい人に二度と触れられない苦しみの壮絶さを自分は想像できるかどうか?そういったことをぜひ考えてみていただければと思います。
 
そして。
 亡くなっていった人も、死によって遺すことになる大切な人たちと、この先どう語り合えるのか、会えるのか、抱きしめられるのか、それができなくなってしまうのか、壮絶な苦しみを抱えて亡くなっていったことでしょう。自らの死がどのような形で訪れるのか、死がどういうものなのか、誰も生きている私たちは経験していないのですから、それも大きな不安です。

 ホスピスでは、このようなことがよく患者さんたちと話題になりました。そしてファーザー・ニコラスと皆で語り合い、勇気を得て、皆が旅立っていきました。
 そのことは、近々書きたいと思います。