南アは、けっこう雨が降る。
テレビやラジオでも、しょっちゅう天気予報をやっている。

その割には、傘を持っていない人が多い。

突然降りだした雨には、外で働く人や歩いている人は、タウンシップでは一時休止。のんびりと雨宿りをする。どこにでも、雨宿りさせてくれる場所は見つかる。
慌ててどこかに行く必要のある人は少ない。

それでも、通勤を決まった時間にしなければいけない人、学校にいく子供たちは、雨が降っていても行動しないといけない。

その人たちは傘を持っていなくても大丈夫。
どの家にもたいていあるもの。
それは黒いプラスチック(ボリ袋・ビニール袋)。

頭の穴をあけて体にかぶって、頭には別のスーパーなんかのプラスチックをかぶる。
大人も、子供も雨の日は体にプラスチックを巻いて歩いていく。

たまにきれいなジャンプ傘をさしている人をみかけるけれど、ジャンプ傘は、どちらかというと青空マーケットでお店を出しているママたちが、日除けにさしているのを見かけることの方が多く、日傘のイメージだ。

私は南アに滞在し始めて早々に、誰だったか病院のスタッフに折りたたみの傘を帰りの雨に貸してあげて、それきりだ。彼女がその後も使っているのか、さらに誰かのところへ渡っていったか、昔のことで忘れてしまった。

南アでは、けっこう目の前にいる人が、「あれ〜この前失くしたボールペン・・帽子・・タオル・・・」なんでも普通に堂々と使っていることが多い。
それ私のじゃない?と訊けば、「そうそう、あなたのね。私が拾ったのよ、それで使ってるの。」と笑顔で答えられてしまうだろう。
きっと取り返すこともできるだろうし、取り返さなくても、その人は、「これリラトのね」なんて言いながら使ってゆくのだろうから
腹も立たないというか、モノへの執着心が失せていく。
アフリカ人同士では、個人的によほど大切にしているものは失くさないように、かなり気をつけて気配りをしているようだ。それ以外のものは執着しない。モノは本来みんなでシェアすればいいのだから。

私の場合は、元々がそそっかしくて失くし物や忘れ物が多いので、誰かに使われて役に立っていれば幸い、と思ってしまう方だ。自分が所有していたかすら忘れてしまって、「リラトのだよ」といわれて、びっくりしたりするくらいなので、南アは暮らしやすい。

暮らし始めて早々に、ビニール袋をポケットに常備するようになった。スーパーでの買い物ではレジ袋は有料だし、雨もいつ降るかわからない。アフリカの広い空を見上げると、遠くに雨雲が見え、雨の降っている地域がグレーがかってみえる。だからといって、風や雲を見て天候を読むことは私には不可能だから、ビニール袋はいざという時には傘になる。
といっても、日暮れに帰宅を急がなければ危ないというような場合以外は、雨が降れば誰かの家や、スパザショップ(雑貨店)で皆のおしゃべりに混ざって、ボーっと過ごして雨宿りする場合がほとんどだ。
スツの若い女の子に、お天気読める?って訊いたら、「う〜ん、わかんないな。たぶん雨はまだ降らないわよ。」という怪しい返事があり、道の途中のどうしようもない場所で、大雨に降られたことがある。
タウンシップでの暮らしの中では、自然とともに暮らす智恵のようなものは、日本と同様で引き継ぎにくいことが多いのかもしれない、と思う。深く考えていくと、この国の歴史の持つ悲しさも見えてくることが、日常の会話には潜んでいる。

それでも、慌てないでのんびりと生きていく。お天気に抗ってまで無理をしない、という価値観。こういった素敵なアフリカンタイムは、日本人ももっと真似してもいいように思う。

日本で暮らす時間の方が長くなっての最初の頃は、ポケットにビニール袋を入れて出かける習慣がなかなか抜けなかった。
今ではすっかり、雨ならばレインブーツに傘といういでたちだ。ちょっと寂しいこの頃。
先日の東京の大雨の通勤の中、ビニール袋を巻いて学校へ向かうたくさんの子供たちの後ろ姿を思い出していた。

そろそろ、南アの空気を吸いにいって、仲間に会ってこようと思った。