夜の宴・・

先日、南アから戻ったという、聡明で元気のよいKちゃんが「タウンシップでなんだか虫にさされて、すごく痒かった」と話していた。

「タウンシップの洗礼」と私は勝手に命名している。

南アでの生活が長く、タウンシップで寝泊りしたことのある人に尋ねると、たいていの人がはじめのうち、なんだかね。かゆい虫にやられるのよね。と言う。

私もそうだった。
毎朝、プツンと、どこかしら赤くなっている。ベッドやマットが原因だと思うので、ダニなのかな〜とも思うが、暮らしに慣れるに従って、何でもなくなってしまう。肌が順応する感じ。ただ、我が家のチビは、0歳のときにタウンシップで、ベッドでなくガレージの隅っこから引っ張り出してきた、ボロボロのマットレスで私と二人で寝たときに、カユカユになるかな・・との心配をよそに、全然平気だった。たぶん日本の我が家があんまり清潔じゃないからじゃないかな?と思ったりしたけれど。

今日のタイトルの「夜の宴・・」
タウンシップで生まれ育った子供までが、その洗礼を受けたという、なかなか私にも印象深い一晩の出来事。

私が一番泊まることの多い家の女の子が、ある日「リラト、一緒にブシ(仮名)の家に泊まりに行こうよ」と言ってきた。
ブシはちょっと変わっている。HIV陽性者ということは知っていたけれど、サポートグループに入っているわけではない。友達が個人的にサポートしているだけ。どうサポートするかというと、何かあれば家へやって来て仏頂面で座っているブシの要求を察して、愚痴をきいたり、食事を与えたり、生活への助言をしたりしてあげるのだ。ブシは他の来客よりもかなりしぶとく訪問先に居座る性質なので、「あ〜私だったら疲れちゃうな」なんて思いながら、私は横で友達の娘の宿題を見てあげたりしていた。タウンシップの優しさだと思うのは、あからさまに相手を追い返さないで、おしゃべりをしながら、上手に相手の帰宅へと話を終結させていくことだ。その点、友達の話術はいつも見事だ。
女の子はブシが嫌いだ。どうして嫌いかというと、ブシが家にいると空気が重たくなるし、つまらないし、ママを独占されてしまうし、それに何よりブシは子供が嫌いなんだという。
子供達がタウンシップの舗装されていない赤土の道路で、皆で遊んでいると、ブシはあれやこれやと、子供に向かって怒鳴ってくるらしい。
私も一度現場を見たが、「あ、酒飲みだな」といった感じの姿だった。
友達の家にくるときはしらふだったけれど。ブシはおそらくアルコール依存なんだろうと思った。

そんなブシの家に泊まりに行きたいという。なんで?ママにきいても、リラトが行きたきゃ行けばいいという。私は泊まれるチャンスがあるなら、いろいろな家に行ってみたいと思っていたが、子供嫌いのブシの家・アルコール依存のブシの家・・・あ〜これは行くしかない(笑)と
行くことにした。何が起こるのか、興味があったのだ。


夕方から二人で手ぶらでブシ宅へ行く。週末だから明日は学校は休み。
念のため、ボトル1本だけ飲み物を買っていった。
ブシはめずらしく笑顔で迎えてくれ、彼女の暮らすエクステンションルーム以外の部屋の住民全てに、私達のことを紹介してくれた。それ自体は嬉しかったが、どうみても、この敷地内の人たちはちょっとブシ同様に・・なんというかシビーン(タウンシップの居酒屋)にいそうな雰囲気。家の外には空のビール瓶が並んでいる。何人かはブシの親戚だということもわかった。
タウンシップにいると、どこか風の便りのようなもので私が何をしているのかを察する人が多い。ある部屋の女性に手招きされ、部屋に入ると、ベッドマットレスの下から紙を何枚か引っ張り出した。重要書類をマットレスの下に入れて保管する人がけっこう多い。
彼女の話によると、そして書類によると、彼女は自分がHIV陽性なのか陰性なのかがわからずに困っている、とのことだった。当然サポートグループとのつきあいはない。ブシには内緒だという。
検査結果通知は3枚あり、日時順に並べると一枚目は陽性、二枚目は陰性、三枚目は再び陽性。
南アでの最初のVCTでは簡易テストキットを使うのだが、彼女に私から言えることは、感染するような機会つまり無防備なセックスの経験があるのならば、陽性の可能性について、検査したクリニックのカウンセラーとよく相談すべきであること、まず通院を続けることで公立病院でCD4カウントを測るなどして、自分の健康状態を把握できることなどだった。
彼女は、「2回目の結果だけを見て、そのままにしておけばよかった」と後悔を口にした。私は、2回目の結果で消えなかった不安から、3度目のテストへと行動した彼女の勇気をたたえた。少し彼女は気が楽になったようだった。そして、ブシ宅に泊まるなんて、変わってるわね・・とつぶやいた。

ブシの家ではいつになっても夕食を作り出す気配がない。「リラトお腹すいたよ・・」とヒソヒソ私をつつく友達の娘。「お腹が空いた」をあからさまに言うのは、大変な失礼になってしまうので、言えないので二人で困っている。よほど親しければ、自分がお腹が空いたから何か作らせてとか買ってくるとかするのだけれど、私達は本当にジュース以外は手ぶら。小銭すら忘れてしまってきた。
お腹はすくし、ブシはどこかへ消えてしまった。
困ったけれども、女の子がブシの家に来たがった理由はわかった。
ブシの家にはテレビがあったのだ。
しかも週末。
週末の南アのテレビは、夜中に堂々とポルノを流す。
大変だ、ポルノが始まる時間の前に、女の子を寝かせなくては。

いそいそと二人でブシのベッドに入って、そして私はあっという間に
寝てしまった。

・・・どれくらいたったのだろう。私をたたき起こす者がいる。
「リラト!リラート!」
それは、既にビールをかなり飲んで豹変したブシだった。
ベッドの隣を見ると、隣にあったのは、女の子の足。なんで頭じゃないんだろう・・寝ぼけ眼で部屋を見渡すと、
女の子は食い入るようにしてポルノを見ていた。
そしてブシのベッドの周りを、眠る私とポルノに食いつく女の子の周りを酒飲みたちが取り囲んでいる。男連中までがいる。
しかし、眠くてたまらない。
仕方ないので、男連中に、女の子に手をだしたら刺すからね、とブシの台所道具の包丁の場所を確認する。でも、この男連中はもうべろんべろんで、お酒以外には興味なしらしい。そして女の子もテレビ以外には興味ないらしい。
ブシが私をにらみつける。自分の友達を疑うのか?リラトは私が嫌いなのね?
酒飲みの嫌なところは、からむことだ。しかも自己卑下して挑発してくる。
ブシは嫌いじゃないけれど、酒は嫌いだから悪いけど、寝させてね。
この部屋で起きていることは私には悪いけど魅力がないわ。
泊まりに行った先なのに。つい言ってしまった。眠い時に、睡眠を邪魔するものは許せない性質なので。それに酔っ払いが盛り上がっている話って、あんまり面白くない。

寝ようとする私。するとブシがバチンと叩く。しまいには、リラトは私を軽蔑しているのね・・と泣きが入りだした。他の人は面白がってブシと私がどういう顛末になるかをながめながら、ビールを飲んでいる。
そしてテレビに食いつく少女。彼女の足をつっつく。(助けてよ。)
(無理よ。)(ポルノ見るのやめなさいよ。)(ママに言わないでよ。)
(じゃあ、なんとかしてよ。)(寝ちゃえば。)
ブシに懇願することにした。眠らないと病気になる。そういう体質なのだ・・・効き目なし。
ブシはしまいに言い出した。リラトがやっていることは黒人の差別じゃないの?HIV陽性者の差別じゃないの?酒飲みへの差別じゃないの?
観客が大笑いする。
どうにでもなれ。寝たふり作戦にでた。
リラトも私達みたいにしてあげるわ。
ブシがなにやらタンスからとりだして、私に塗り始めた。
薄目を開けると、彼女は私に靴墨を塗っていた。黒人にしようということらしい。
風呂嫌いの私も、明日は風呂に絶対入ろうと心に誓う。
次第に睡魔がおそい、私はブシたちを放っておいて、いつものように
ぐーぐーと眠ってしまった。

翌朝の5時ごろ。
食べ物の匂いがする。パチっと目が覚めた。
靴墨は思ったよりも広範囲に塗られていた。
隣の女の子は目をシバシバさせている。
酒飲み連中は家路についたようだった。
ブシは、パップとシチューをつくっていた。

ブシ。お腹空いた・・。
私のこと嫌いなんでしょ。
ブシが嫌いなんじゃなくて、酒飲みが嫌いなんだよ。
HIVにだって、良くないよね?
HIVだから、酒飲んで忘れたくもなるじゃないの。
それもそうね。でも、体によくないのは確かだよ。

靴墨でベタベタの顔で言っても、なんだか説得力がない。
ブシは以外に料理が上手だった。
どうして、いつも友達の家にくるのだろう?と不思議に思った。
酒代に費やしてしまうのだろうけれど、
酒飲みの自分のことは好きでないのだろうな、と思った。

女の子につつかれて、ブシの家を後にする。

ボリボリ。ボリボリ。あちこちが痒い。
一見清潔そうに見えたブシの家だったが、ようやくタウンシップに慣れてきた私を、久しぶりに虫の痒みが襲った。
隣の女の子までボリボリやっている。

あの家、変だよね。
あの家、なんか虫がいるよ。

帰宅した私達二人の姿を見て、友達は想定内だったようで、フンと鼻で笑って、沐浴のバケツを貸してくれた。沐浴後に向いの家のゴーゴー(おばあちゃん)にアロエをもらって、痒いところに二人で塗ったが、ゴーゴーは、「ずいぶんやられたね〜モスキートーに。」と笑う。
蚊じゃないのに、ゴーゴーには虫刺され=蚊しか想像つかないようだ。女の子が必死に、あれは蚊じゃない、何か変な虫だと力説する。
この朝は、私がタウンシップで受けた洗礼の虫さされ、の経験を女の子の力説によって初めて皆が、「布団にいる虫」と認知してくれた。みんな「でも、私のうちは大丈夫。ブシの家にいたのね」って言っているけれど、皆のところにもいるんだよな・・と思いながら、ちょっと笑ってしまった。

その後しばらくは会うたびにブシにはからまれたが、二度と泊まりに行こうと思ったことはないけれど、なかなか愉快な経験だったことは確かだし、ブシのことも、あの夜の宴もなかなか強烈で、大好きな思い出だ。
ブシはエイズを発症して具合悪くなったりもしたが、ARVにはアクセスでき、今も同じタウンシップ、同じ部屋で、暮らしている。