チャレンジャーになること (2)

タウンシップで暮らしていると、一部のチャレンジャーが妙に目立ってみえる。あまりにもたくさんの人が、タウンシップの中だけで、同じような時間の流れの中で、同じように暮らしているので、人と違うことをしているとそれだけでかなり目立つ。
とてもシンプルな内容ばかりを例にあげるけれど、それくらいタウンシップは何もないところなのだ。
例えば、美容院。たいい手作りの看板と、女性の後頭部の写真(日本とっ違って、ヘアカットでなく、つけ毛を足しての編込みヘアだから、後頭部の写真が重要)のポスターが入り口にあったりする。
それからスパザショップ。タウンシップ内の雑貨屋。たいていのものが手に入る。防犯防止で、お客と店主は鉄格子越しに物品とお金をやりとりする。
ビーン。居酒屋。日本の居酒屋とは全然違う雰囲気。もっと猥雑で飲んだ暮ればかりが集まるところが多い。
肉屋。肉をいろいろ量り売りしてくれる日本でもなじみのある肉屋に近い。店頭で、選んだ肉のブライ(バーベキュー)をして食べられるようなテーブルと椅子(プラスチックの簡易なもの)を置いてあったりする。鶏のまま売っているところもある。
牛やヤギをさばくのは、儀式のときだからタウンシップでは調達されてきた肉をさばくのを見るチャンスは意外に少ない。

これくらい?あとは、家の冷蔵庫を使ってジュース・お酒の販売をしている人もいるけれど、お店を構えていることは外からは全くわからない。地元のご近所さんだけが知っていて、ドア越し(こういう商売をする家庭は上・下に分かれたドアで下は必ず施錠している。さらに鉄格子のドアで防犯。ちなみに鉄格子ドアの防犯は、よほどお金がない人でなければ必ずやっておきたい自衛策。)

あとは、あまりお金にはならない商売を地道に路上で行うアフリカンママたち。市場でランチビジネスをする女性たち。

タウンシップの外へ働きに出ている人は一体何割だろうか?
働いているらしい、と認識され、しかもその人が車でも所有していたら、もうその人は多くの人にその身分を認識される。「かれは、どこで働いていて、あの車をいくらで手に入れた」そんな情報がまわるのは早い。
何を仕事にしているのかもわからないのに、車を持っている男連中は、つきあわないでいると無難。
誰かが買出しに行って大きな荷物を持って帰ってくると、来客が必ずあると言ってもいい。そんな日の来客は、何を街でしてくたのか、興味があってやってきた相手の場合がほとんど。もちろん暇で、その人の帰りを待っていたという場合もあるけれど。あわよくば、トイレットペーパーの1つをもらえないかな、とか、何か安いお店とか新しいゴシップは仕入れたのかしら?なんて思いながら、皆尋ねてくる。小さい子供がいる相手だったら、自分の子供に何か・・という切実さもあるかもしれないし、機嫌のよい今日なら子守を頼めるかしら?なって感じに赤ん坊が、母親からバトンタッチされる。
ご近所づきあいは大切だから、ついつい分け合ってしまう。そうやって、お互いにいつまでたっても、なんだかお金もないし、食糧もすぐになくなってしまう。スーパーで安く買ったのに、エイズ遺児のいるあの家庭が気になるから、あげて来ようかしら・・と計画性なく分け与えてしまって、自分たちの夕食用のトマトを買いに道端で野菜を売っているアフリカンママのちょっと割高の野菜の元へ走る羽目になったりする。

パソコンを持っている人はゼロではない。
でもインターネットにつながっている人は私は出会ったことがない。NGOで本当に優秀で海外からの資金を得ているところはPCがインターネットにつながっている場合が多いけれど、ほとんどの草の根のNGO活動は、誰かの家や教会や学校に仮の場所をおいて活動している。例え、私がメールアドレスを取得してあげても、たいていがそれっきり。「どうやってみるの?」「インターネットカフェ?」と会話が進んだところで、そのインターネットカフェに実際に彼らが行ったり、情報にアクセスしたり、そんな私たちに当たり前の行動には、ほとんどの人が二の足を踏む。そのハードルは、彼らにはとても高い。なじみのない新しいことへのチャレンジは好きではないようだ。

タウンシップの中で見慣れているもの。それだったら親しみがある。その数少ない地元の彼らの商売が、彼らの生計をたてており、自分よりも少し豊かな暮らしを彼らが獲得しているらしいということも、理解している。
それが彼らにとっての「成功例」として、目で見て信じられる光景なのだ。
だから、皆「ビジネスがしたい」「NGOを立ち上げたい」という夢を、私や仲間の前で語る。
口コミでの「うまくいくらしい。」「儲かるらしい」という誰かの一言が、要はゴシップが、ビジネスへの妄想へ駆り立てる感じ。なので、誰も彼もがなんだか似たような、ビジネス計画や、NGOづくりの計画を、私達のところへ、なんとなく期待して話に来る。

そのビジネスの内容ななんだか、タウンシップのどこかで誰かがやっているような・・。なんだかそれは先日の別のタウンシップの人とのおしゃべりで話題になっていたような・・。その話、私も隣できいていたような・・(笑)。
「おしゃべり」のことを「ゴシップ」と自分たちでも顔をしかめることも多い割には、「おしゃべり」で得た「情報」への彼らの心や頭の反応は早い。それから自分の目で本当に生で見たものへの反応。

だから、彼らが夢に描くそのビジネスの中身は、情報量が絶対的に少なく、実現の可能性がとても低い、ということを日本人の私達には予想することができてしまう。オリジナリティーや市場マーケティングも何もなく、誰かと同じことを、同じタウンシップでやっていたら、お客の取り合いになるだけで、下手すれば身の破滅にだってつながる。それを伝えてみても、あまり彼らの心には響かないようだ。

目で見て信じられるもの・・の外へ想像を広げていく、つまりチャレンジすることへの、途方もない距離を、タウンシップでは感じる。

日本人の私の日本での生活はどうだろう?

日本では、多少のサービスの良し悪しはあるにせよ、自治体とその周辺の情報網を活用するとそれなりに多くの社会資源に出会えるし、スキルをあげるようなプログラムも、今では自治体のたよりに紹介されるようになっている。
私の場合詳しくわかるのは東京都だが、心がけて情報を見ていると、自分の暮らしを、東京での生活でどうやって質を向上させることが可能なのか、情報収集の方法も昔よりもずいぶんと都民に親切になった。
ハローワークも同じくそうだ。

パソコンとインターネットも格段に自分の暮らしを便利にしてくれ、やりたいことや、叶えたいものへのイメージを膨らませ、知りたいことを調べるツールとして、欠かせないと思うことも最近多くなった。

この辺りの、南アのサービスはどうだろう?

南アのタウンシップのある地域のシビック・センター(市役所)は、いわゆる悪い意味でのお役所仕事で、親切ではない。全くもって。いつかこのブログにも書くだろう。
ウマが合えば友達のノリで仕事をやってもらえる辺りは、日本よりもいい、という点だけがとりえだ。要は、良い人に出会えるかが、鍵。下手すれば、エイズを発症している人が、いつまでもいつまでも、ディスアビリティ・グラント(障害者給付)の申請結果を待ち続け、ワーカーに食われていた、ということもある。RDPハウスの申請で騙されて賄賂にお金が流れたという例もある。

ハローワークのような、行政が就労を応援するシステムは皆無。
民間で登録して、ときどき派遣の仕事をくれるというところはあって、そこに登録している友人はいるが、それも情報は口コミ。
この国は失業対策をどうやっていくつもりなのだろう・・。

また、そもそもタウンシップはインターネットなどできる環境ではない。

そんな風にはインフラは整備されていない。もちろん都市部であるエクルレニ市では電気・水道はちゃんと整備されている。
電気は電力会社が意地悪なストで停電を起こすが、すくなくとも水道だけは常に無事だし、他のアフリカ諸国と違って衛生的でおいしい。

人が土地に根づいて暮らす、先祖代々の土地に暮らす・・という文化が都市部では壊れてしまっているし、持ち家ならともかく、借り間暮らしの人がほとんどのタウンシップでは、固定電話など持ちようがない。プリペイド式の携帯電話を所有している人は増えたが、安いものだと、SMSくらいしか送れないので、友達との交流にしか携帯は役立たない。

ネット上の世界が皆目わからないから、インターネット経由でかなり正確な様々な有益な情報が得られることや、アイデアの宝庫であることへ、関心が少ない。
かかわっている子供達のセンスを見ていると、機械オンチではないようで、初めてさわるパソコンでも絵を上手に描いてしまうし、ゲームは覚えるし、音楽のダウンロード、DVDの鑑賞といった、使い方にはあっという間に慣れてしまう。たぶん若者たちもそうだろう。
でもPCを下手に経験させると、その先のPCスキル習得の有益性や将来性への理解やモチベーションがないまま、「PCが欲しい」という物欲だけを生んでしまいそうで、たとえそれがNGOでも置物となりかねない。むしろ仕事をしなくなる人間を作るかもしれない。
PCをNGOの若者が欲しがるときには、所有するまえに、PCの技能訓練を受けられる場所と価格を自力で調べて、ネットカフェでインターネットの経験もして、それから自分達のNGOへのPCの寄付を南ア国内の助成金や企業に申請するようにと話している。ちゃんとやっている人も少なくてもいるわけだから。ニバルレキレでやれるのは、そういうちゃんとやっている人のNGOと、夢見がちな若者達を、出会わせたりするネットワーキング。「目で見た世界」に私達も重きを置く。タウンシップ流だ。

ただ、実際に先行くチャレンジャーから何か秘訣を得るのは至難の技ともいえる。

「目で見た世界」つまり、どうも成功しているように見える人たちの、中身がどのようになりたっているのか。ビジネスだったら、どうやって切り盛りするのか。NGOならばどうやって活動を維持し、支援・資金を作るのか。そのノウハウは、生きていくのに必死なタウンシップでは、誰も親切に教えてくれない。成功者と呼べる側のチャレンジャーたちは、この点でばかりは無口で秘密主義だ。彼らも必死だから。
見せてもらえる部分から、想像力を働かせていくしかない。
その「想像力」で、再びつまずく人がたくさんいるのもタウンシップ。
想像できないのだ。
イマジネーションを働かせることは、当たり前のようで、経験から得る力なのだと、南アとかかわるようになって痛感している。これこれ以外のことがありうる、ということを本当に理解して実感できた経験があること。それによって良い経験をしたことのある人。そういう基盤がないと、何かを想像してみようという動機づけが話し合っていても、なかなか成立しない。あるいは幼少から想像力を働かせるような世界を環境に用意してもらえたという人でないと、難しい。

育った環境のために、貧困な想像力しか働かなくなる。これは別に目の前にいるタウンシップのアフリカ人個人個人の責任ではないように思ってしまうのは、私だけだろうか?

そして、多くの人は途方にくれながら、「あの人の暮らしと私の暮らし、なんでこんなに違うのかしら?」と首をかしげる

さて。この環境で。
どうやってチャレンジャーになるのか。
なれ、というのが難しいことだと思っている。
だから、ニバルレキレでは、うまくやれない人たちと、のんびりつきあっていく。だって、それがタウンシップだから。

ビジネスの分野では私自身も疎い。でも、いくつかやってみたこともある。小さな小さな、でも何とか家族に収入を作るための挑戦。

NGOを作りたい、HIV陽性者のサポートグループを作りたい、コミュニティーの草の根プロジェクトを作りたい。その手の話だと、ニバルレキレでも割とかかわれる。


次回は、そのチャレンジャーたちの、1つの話をしようと思う。
続きはチャレンジャー(3)で。

あとは、話は脱線するけれど、南アのこういう部分を知って、ネットで検索しても決して出てこないような草の根の活動をがんばっている膨大な数の人たちが、エイズとともに生きる人々を力強く支えていること、彼らはファウンダーやアドバイザーと出会う手段がないこと、かわりにエイズを患う人やコミュニティにいるエイズ遺児たちをケアする最前線にいる心ある人たちであること、そんな人たちのことを知って欲しいと思っている。
だからといって、安易にパソコンや中古車などを寄付したりすればいいものではないこともつけ加えておく。南アフリカ人なりの、ものごとの納得の仕方や、思考やどんなことに感応するか、それから伝統的な価値観や、今の若者達のそれとのつながり方などをよく理解する中で、ぜひ支援をしていただきたいと切に思うのである。