チャレンジャーになること (3)

スプリングスというタウンシップに、一人のHIVアクティビストがいる。

彼女とその仲間たちとの交流から、チャレンジャーになることの難しさを私が痛感したという出来事があった。

アクティビストの女性の名前は、クラレッタ(仮名)。HIV陽性者のアクティビストは実名を出しても良い場合がほとんどだけれど、クラレッタの場合はそれはできないので仮名。
というのは、彼女は自分がHIV陽性であるということを、どうしても家族に打ち明けることができずにいるからだ。
彼女はTAC(治療行動キャンペーン)に属し、そこでのミーティングで感染した体験やこれからの人生への知恵を分かち合ってきた。それから感染がわかってからは、地元の公立病院へとつながり、そこの主治医やカウンセラーに自分の秘密を託して診療を続けてきた。
TACでクラレッタは、トリートメント(治療)リテラシーの資格をとった。
トリートメント・リテラシーは、HIV陽性者のための「疾病理解」や「治療にアクセスしたいという動機づけの向上」、「治療にアクセスできた場合に大切となる医学的な知識・適切な医療との関係の維持の仕方」「服薬にまつわる問題」そして何よりも「治療にアクセスできれば、エイズで死なずに済む」という勇気づけをHIV陽性者にしていくTAC認定の資格で、受講を修了したTACメンバーの陽性者たちは、地元近くの公立のクリニックや病院へ派遣されていく。彼らの生活費もわずかだがちゃんとTACが保障するシステムになっている。
トリートメントリテラシーは、TACの南ア政府に先んじた戦略ともいえた。南ア政府がARVの公費負担に踏み出せずにいた時期に始まったこの活動によって、TACはHIVに感染している多くの人たちが恐れ絶望しないよう、彼らの目の前で、同じ立場にあるHIV陽性者が「私たちは死なない、薬は必ず手に入る」と人々を勇気づけることを重視した。そして公立病院やクリニックを活動の場としていくことで、政府へARVその他のエイズ対策を進めていくようにというプレッシャーを与える。2つの大きな意義がこの活動にはあったと思う。
資格をとったHIV陽性者たちは地元にある公立病院やクリニックの感染症外来で、活動していた。
活動しているとき、クラレッタは「HIV陽性」と書いてあるTシャツを必ず着る。でも、感染症外来で、「私もHIV陽性だ」とはどうしても言えない。「HIVアクティビストだ」と自己紹介してしまう。もう一人のリテラシースタッフは「私はHIV陽性よ」とスラリと言えてしまう、素敵な女性だった。
自己矛盾を抱えたクラレッタをリテラシーとして認めたことには、きっとクラレッタ自身にHIVと向き合う、家族とどう向き合うかを考える機会を与えるという意味もあったようだ。これは後からTACのスタッフから聞いた話だが。
クラレッタは、リテラシーの活動に大きな情熱をもって挑み、その姿は、彼女の秘密がかえって何か力を与えているような感じだった。感染症外来でワークショップを行う際のファシリテーターとしての能力や、雄弁なスピーチの能力を持っていたのと、とにかく熱心で親切だったので、外来では皆に頼られていた。

クラレッタ個人の抱えていた問題のことは、別のタイトルでもいずれ書こうと思っているのだが、とにかく私は、彼女の「自分の感染を家族には打ち明けられない」けれど、「HIVアクティビスト」という、HIV感染したことによって壊れかけたアイデンティティを救ってくれる生き方に焦がれている彼女が、人間らしくて好きだった。
コミュニティのHIV陽性者のために何かしたい、というのも、どこか自己救済のような、自己を癒すの行き方を探しているようだ。でもおおかたの人間というものは、そういった自己救済のような動機で、新しい生き方を決めることがあるんじゃないかな、と私は思っているので、彼女の摩訶不思議な、自分の矛盾への弁解の言葉の一つ一つに、よくクスクス笑ってしまうことはあったけれど、嫌いにはなれなかった。
もちろん、HIVアクティビストとして成長していくためには、彼女は自分の矛盾を乗り越える必要があったので、よく私達は議論したものだった。時間はかかりそうだった。
でも当時のクラレッタのCD4値は200以下になっていたので、早々に彼女は自分の態度を決める必要があった。
クラレッタが、なんとなく気になって、よく彼女のいるスプリングスも訪問していた。

スプリングスへの外出は、乗り合いバスの乗り換えが、3回。うち2回はタクシーランクでバスが満席になり発車するのを待たなければならず、3回目の乗り換えは、まれにしか通らないローカルタクシーを捕まえないといけないので、非常に時間がかかる。なので、行く場合は、だいたい泊まらせてもらうことにしていた。

クラレッタの家は、他のHIVアクティビストたちの家同様に、訪問者が多い。クラレッタはもともと、ちょっとしたクラスの「つい班長さんや級長さんを引き受けてしまう」感じの雰囲気だったようだ。見た目も大柄でなんとなく頼もしい。感染がわかり体力の衰えを感じるまで続けていた彼女の仕事は、警備員だった。
元同級生や、放課後の高校生が彼女の部屋に毎日集まる。当時彼女たちは高校の教室をかりてのサポートグループは行っていたが、それ以外にもコミュニティーでの活動をいろいろと夢見て語り合っていた。

何かを始めるときというのは本当に小さなことに手をつけるかつけないか、そういった積み重ねが大切だということは、彼らもサポートグループを1つ持っていることで認識していても良さそうだったが、どうも雄弁になりがちなクラレッタが、自分の「親友」で「日本人」で「NGO」をやっているリラトが、私達の活動をサポートしてくれる、と皆に妙な熱を与えてしまった時期があった。

ニバルレキレの、サポートグループなどの小さな活動とのつきあい方には幾つかの形がある。誰かと誰かを知り合わせるネットワーキングするだけの場合もあれば、サポートグループに純粋にメンバーの一人として参加して、そのグループの趣意のとおりに私達も活動していく場合。グループからのリクエストがあれば活動のやり方について何かアドバイスをすることもある。また、ある程度活動の内容やメンバーの人間関係や、グループの向かいたい方向が見えている場合には、例えばフードガーデニングや、レッドリボンバッジづくり、啓蒙イベントなどの活動への資金面での支援をすることもある。

クラレッタのグループは、とても夢を見ていたので、私ができることは、現実にグループを継続させるとはどういうことか、活動実績を作っていくとはどういうことか、という視点をメンバーにもってもらうための、ミーティングでのアドバイザーになることだった。

クラレッタたちは、自分たちでこれまでにどれくらいの期間会合を重ねてきたのか、タウンシップの中のどの地域をターゲットに仲間をつくっているのか、コミュニティーで何をしたいのか・・・何もコレといったとっさに説明できる自己紹介は持っていなかった。抽象的に「HIV陽性者を孤立させないコミュニティーづくり」「エイズ遺児のためのデイケアセンター」「何かHIV陽性者の収入につながる活動」というのはあった。まるで、選挙公約みたいだ。
エイズ遺児のためのデイケアセンターには、なんと「あそこの広場にコンテナを置いて・・」「でもあの広場の角のコンテナでビジネスをやっている人は、どうしてあそこでビジネスをできているか教えてくれないの」と、広場を使う許可も、コンテナを手に入れる方法も知らないままに夢を描いていた。夢を描いて語りだすと、メンバー誰もが生き生きとするのだが、私が、「コンテナを手に入れるには?」などと(意地悪なので、最初からは何も教えないことにしている)謎かけのように質問していくと、皆の目から光が消える。そして、「本当に政府って嫌になっちゃうわ、何も私達に情報をくれないのよ」と不満を語りだす。確かに政府は不案内だったが、椅子に座ってワァワァと語っているだけの彼らも変わらなくてはいけない。

少しずつミーティングのやり方の修正を助言していくことにした。
ちゃんとメンバーに役割を与えて、それをモチベーションにしていくこと。例えば、会合はいつやってもいいが、定例会合を作ってみて、議長を出してはどう?書記をつくって話し合いや、活動の記録を残したら、何か助成金や寄付を申請するときのPRの根拠にならないかしら?
こういった話には、頭の柔らかい高校生たちがとてもよく反応し、彼らが早速議長や書記をかって出てくれた。

さて、彼らのビジョン。大きくは、彼らの言うとおりでもいいだろう、ということになった。では、何が活動に今必要だろうか?すると、少しの寄付や助成金でも申請できるようになりたい。NPO法人申請をしたい。活動を人に知らせるためのパンフレットを作ってみたい。という意見が若者たちから出た。
そしてクラレッタや元同級生たちは、「私たちに必要なのは、ビデオとテレビモニターとパソコン、カメラよ!」と力説した。

つまり、パソコンをつかって美しいパンフレットを作りたい、ビデオやカメラで活動の内容を伝えて、視覚からファウンダーになってくれるかもしれない人たちに訴えたい、ということだ。
そういうPRをきちんとやりながら活動できているNGOをきっと彼女は見ていたのだろう。
確かに、スプリングスには素晴らしい在宅ホスピスケアの活動をしている団体が1つあった。確かに彼らはきちんとオフィスを持ち、助成金も受けながらの活動を、目に見てわかるように写真で整理していつでもPRできるようにしていた。彼らにはファンドレイジング含めて運営のことをきちんと学んだスタッフがちゃんと雇用されていたし、ホームベイスドケア(訪問介護)を行う専門トレーニングのコースも作られ、地元の人たちの雇用を作り出していた。事務所でインタビューしたところ、やはり「スタートの頃には、外の機関を利用して、あらゆることを学んでここまで来た」と教えてくれた。決して、棚からボタモチではないのだ。

私は、クラレッタたちの意見を即座に却下した。その話が始まったら、何もこのグループの活動は進歩しないからだ。そういうグループを山ほど知っているからだ。いつまでも、順調な人・団体へのジェラシーを抱えて自分はただ座り続けている人たちを知っているからだ。今のクラレッタたちのように。クラレッタとその仲間に、高校生はライフモデルのようなものも期待しえ集まってきているようだったので、絶対にクラレッタ達には頑張ってみてほしかった。

自分たちで何か所有していなくても、NPOの申請そのものは可能だし、寄付を集めるためのレターや、活動を紹介するパンフレットは、手書きでも可能なこと。パソコンにこだわるなら、その場合でもパソコンがなくてもできること。それ実現するための話し合いを、次に会うときまでの宿題のようなものにしてその日のスプリングスを去った。

さて、次週。頑張り屋の高校生とクラレッタで手書きでのグループのパンフレットの原稿を仕上げていた。その調子!
これを清書しようか、どうしようか。皆の希望はパソコンで作成された美しい文章だった。そういうものでなければ、誰にも信用されない、と強く誰もが信じていた。
そこでその日は、メンバー数人ごとに分かれて、手分けしてスプリングスのタウンシップの中にパソコンを所有している人がいるか、探してあるこう!と提案してみた。ちょっと高いハードルだったかな?と思いながら、知らんぷりして皆を外に追い立てる。
私ではズールー語での交渉能力はないから、皆に頑張ってもらわないと困る。励ましながら、一軒一軒、あたりをつけながら訪問してまわったところ、めでたくパソコンとプリンターの所有者が見つかった。
ほら、探せば見つかるでしょ?と私が言おうとしたら、クラレッタが「ほら探せば見つかるでしょ?」と言う。タウンシップにありがちな調子の良さ。皆で爆笑してしまった。

パソコン所有者からは、タウンシップでは当然予想されるお金の話が出た。純粋なボランティアでやってくれる人は、まずいない。パソコンで文章を入力してあげる場合の対価についての話題。それからプリンターのインクは高いんだよ、紙はどうするんだい?という話も。
私の中では想定ずみの話だったが、メンバーは喜びもつかのまに、ぎょっとして、沈みきっての力なくクラレッタの家へと戻ってきた。

こうやって、夢見ることを実現するには小さなことをきちんと体験すること、成功しているように思われるNGOは、それなりの地道な努力を怠らずにやってきたからこそ、今の力があるということを、彼女たちに知って欲しかった。

私がパンフレットなどを作成することは簡単だった。でも、クラレッタのグループは、もっと試行錯誤ふくめた体験を積んでいかなければ、たぶん空中分解してしまうだろう、希望を抱いた高校生達が失望して離れていくのが目に見えていたので、「自分達でがんばる」こと以外に話題が逸れるのならば、ニバルレキレとしては支援は不可能であることを伝える必要があるようにも感じていた。友達としてはつきあうけれども。

次の会合のときに、なかなか皆からは案が出なかったので、私の方から、パソコンで作業する人への日当・印刷に使う紙・インク代はニバルレキレで負担をするので、みんなで妥当だと思われる日当での交渉をパソコン所有者としていくこと、印刷に使う紙やインク代の予算がいくらか調べて、それをリラトに知らせてくれるように、と話した。パソコン所有者との交渉は日本人が入っては、高く要求されるだけなので、彼らに任せるしかない。それに紙っていくらなのか、インクっていくらなのか・・そういった雑多だけれど大事なことを何も知らないでいる人が、将来仮に誰か好意でビデオやパソコンや事務所を寄付してもらっても、たぶんその出来事を当然と受け止め、感謝がないまま、きちんと手にしたものを役立てないだろうと思うので、意地悪なようだけれど、クラレッタたちには宿題を出して、何か彼らからの返答が届くまでは、こちらからの声かけはしばらくやめてみることにした。

そして、リアクションは起こらなかった。「プリーズコールミー」のSMSは来るものの、電話してみると「会えなくて寂しい」とか「会合にきてよ」とは言うものの、グループとしての活動をどうするか、という話題は避けられた。

その後も、いろいろあって、クラレッタたちとのやりとりは続くのだけれど、彼らとの1つの挑戦は失敗に終わってしまった。

たぶん伝えたいことは伝わらなかったのだと思う。伝えることを伝えるためには、もっと時間をかけるべきだったのかもしれないけれど。
なにが、彼らの行動を停滞させてしまうのか。これは彼女のグループだけに限られた話でない。

その辺りのことは、機会を改めて、また書いてみたいと思う。
なお、クラレッタは治療にアクセスでき、現在も元気にしている。