ザネレ(1)

彼女の名前はザネレ(仮名)。

最後に会った日、私はどうしても南アを離れなければいけなかった。そして、その時の彼女はエイズを発症していて、免疫数値CD4カウントも10を割りこみかけており、日々に死がちらついていた。私達はなんとか彼女をなじみのクリニックのARV治療対象者にねじこもうとしているところだった。

「またね、数ヶ月だからすぐ会える。」

「そうね。数ヶ月なら、私も頑張れる。頑張って見せる。」

「会えなくなるのが寂しいわ。」

「本当に。」

「でも必ずまた会うのよ。」

「もちろん。」

お互いに、内緒でプレゼントを用意していることに気づいた。後ろ手でガサガサ。タウンシップでプレゼントをもらうのはめずらしい。見かけるのは出産前のベビーシャワーくらいだろうか。私自身もプレゼント交換を誰かとするなんて子供のとき以来だ。

ザネレからのプレゼントは、ANCという政党のキャンペーンTシャツの新品だった。ボロボロの包装紙をどこからか手にいれ、丁寧にのばして、ラッピングしてくれてあった。

「ごめんね。お金がないから。これしか新しいものはなかったのよ。でもこれで私のこと、思い出してね。」

当時のANCの党首ムベキの大きな顔が黒いTシャツの中で笑っていた。

ムベキ大統領時の3年間に南アのエイズ対策は国際社会の批判を浴びた。「ARVは毒だ」「エイズは貧困の病気でウイルスが原因か疑わしい」と言い放ったムベキ。「HIV陽性者はレモンやニンニクを食べていればいい」と発言をした保健大臣。血迷った政策によって、無駄に多くの死者が生じた3年間に、ザネレの免疫力は低下していき、エイズ発症に至った。妹も同じ病気で失った。貧しさのどん底で子育てした。

教会もANCも彼女に何もしてしてくれなかったけれど、彼女は教会のよき信者でANCの支持者だった。

私からのプレゼントは、九州に住む薬害エイズ・薬害肝炎被害者の友人が島原の教会で見つけてくれた皮細工の十字架のペンダント。

「このペンダントを送ってくれた人、エイズと肝炎から頑張ってサバイブしているんだよ。そのパワーをもらってね。島原って土地も、哀しみの歴史の中でも信じるものを大切にした、すごい場所なんだよ。」

それから何を言ったらいいのか。

彼女と見つめあいながら、心の中で「もう二度と会えないかもしれない」ということを覚悟している自分がいた。彼女はどうだったのだろうか。会えないかもしれない・・と怖れている自分。どこかで死を予感している自分。それでも、なんとしてでも、また会いたい自分。会えると信じていたい自分。

お互いしばらく無言だった。

そして、抱き合った。抱き合い背中を何度もさする。ザネレの姿勢の良い、痩せた背中の感触を確かめるようにさすった。

「ニャクタンダ」

お互いから出たのは同じ言葉。

ズールー語で、「愛している」。

クスクスお互い笑い声をもらし、目を合わせ直し、今度は軽い調子で「ラブユー」と言い合っているうちに、なんとかお別れできそうな気持ちになった。

「じゃあ、必ず少しで戻ってくるから、結核を治して、ARV治療も始めるんだよ。ちゃんとクリニックで手続きはできているんだから、大丈夫。」

「オーケー」

別れ際、彼女が近づいてきた。

「ありがとうね。」そう言って、彼女は私にキスをしてくれた。

彼女の唇はひんやりとしていて、そして独特のにおいと、苦い味がした。長く、カンジダ食道炎・胃腸炎を患い、食事に苦労している彼女。苦い唇の味に、何度も一緒に「何が食べられるだろうか?」とスーパーをぐるぐると歩いてまわったことを思い出した。彼女が本当に慎重に、必死に食べられそうなものを考えて選んでいた姿を思い出した。

私は、彼女の食べられない辛さの何をいったいわかっていたのだろうか?

でも、彼女のキスは全てを赦すかのように優しかった。優しいのに、そのキスは、エイズを発症している彼女の病状という現実と、大切なザネレを失うであろうという予感を、私から忘れさせてはくれなかった。

ザネレは、私が不在の間に髄膜炎を発症して、エイズホスピスで亡くなった。孤独ではなく大切な家族や友達に囲まれての最後だった。

ザネレとのキスを思い出さない日がどれだけあっただろうか。

苦くて渋みのある、すえたような匂いのするキス。いつも自分の隣にある彼女の存在。

そうやって、エイズと生きたザネレとこれからも一緒に過ごしていくことだろう。

できることなら、もう一度、彼女に会いたい。そう思いながら。

ザネレの正直で、誇り高く勇気ある性格が、彼女の息子にちゃんと受け継がれていることを、彼女と語り合えたらどれだけ素晴らしいだろう。彼女と友達になれたことをどれだけ誇りに思っているか、素直に打ち明けられたらよかった。正直だけれど、へそ曲がりで頑固だった、ザネレも、たくさん話せずにいたことがあったんじゃないかな、と思うのだけれど。