ザネレ(2)

 ザネレと初めて出会ったのは2004年の1月。まだ南ア政府がARVの公費負担を開始していない時期だった。毎日、小さなエイズホスピスの中で数人が亡くなっていくのを看取る日々。週末に行くところといえば誰かのお葬式か、TAC(治療行動キャンペーン)メンバーの一人として参加し続けたジョバーグやプレトリアでのトイトイ(デモ行進)や集会。
 トイトイは切望するHIVの治療薬が手に入らない多くのHIV陽性者にとって大切な運動だった。私の場合は陽性者ではなかったのでボランティアメンバーとしての参加だったけれど、週末にトイトイに出かけていく私に、ホスピスの患者さんたちが「こうやっていつ死ぬかわからない私達が、ここにいることを政府に伝えてきてね」「自分の分もがんばってきてね」と見送ってくれた。ときにはそれは、考えまいとしたくなるほど重たいことだった。ほとんどのトイトイで見かけるのは、アフリカ人。きけばほとんどの仲間たちはタウンシップやスクウォッターキャンプからやってきている。南アの中では貧困層にあたる人たち。多民族国家だけれど、カラードや白人はTACの核となっているリーダー達くらいしか見かけることがない。TACが支援して、膨大な数のアフリカ人HIV陽性者がトイトイに集まれるように、タウンシップごとに大型バスを数台チャーターして、ジョバーグやプレトリアの広場や裁判所や大使館前などに集合させるのだ。
 トイトイはアフリカ人の文化。日本だと「シュプレヒコール!なんとかなんとか反対!」なんていうデモ行進を昔はやったものだけれど、トイトイはかけ声をかけながら脚をリズミカルに踏み鳴らしマーチングしていく。メッセージには詩のようにリズムと音楽があり、時には歌に変化する。
 そのトイトイに日本人の私が参加しているのを、ホスピスの患者さんは半ば愉快がり、半ばは本気で「お願いだからどうか私達が死なないで済むようにして欲しい」と願いをこめて出かける私を抱きしめる。
 その当時にホスピスにいた患者さんで現在も生きている友人はたった2人きり。皆亡くなってしまった。トイトイにいたメンバーも多くが亡くなった。
 今日を精一杯生きる。明日に命がつながる何かがあるならば、それがどんなことでもつかみたい日々だった。
 そんな時期にザネレと出会った。
 ホスピスには当時、彼女の妹のフィギレ(仮名)が入院していた。静かで控えめなフィギレは、昔は太っていたのよ・・と言うけれど、私が出会ったときは骨と皮の状態に近かった。蝋燭の炎が消えるように、静かに亡くなっていった。
 入院中には家族は誰も面会には来なかった。でも彼女は家族のことをとても大切だと話していたから、来れない理由はおそらく会いに来るためのお金や車を頼むような友人がいなかったのだろう。乗合タクシーでの移動はたいていのタウンシップからホスピスまで最低2回乗り換えで、往復で当時でも一人20ランド前後かかるし(今だと30ランド前後)、人に車を頼むとガソリン代を払わなければならない。
 患者さんが孤独のうちに亡くなっていく理由のひとつには、エイズへの恐れや拒絶があったが、愛していても本当に貧困だと何もできずに途方にくれ別れ別れのまま、最後に棺の中の家族と対面するしかないのだ、ということを南アで働き出して早い時期に知った。
 フィギレの住んでいるエマプペニというエリアは私はまだ当時は足を運んだことがなかったので、家族に会いに行って、フィギレのところへ連れてきてあげることができなかった。
 遺された家族のことが気にかかった。
 エマプぺニは大きくとらえるとデヴィトンというタウン(街だけれどデヴィトンはタウンシップ)のエリアになる。デヴィトンの脇にエトゥワトゥワ、エトゥワトゥワイースト・・エマプペニなどのタウンシップが並び、ヴァセロンというスクウォッターキャンプがくっついている。エマプペニはホスピスのあるハウテン州の端の端にあり、ムプマランガ州に隣接している。ハウテン州の当時私の活用していた地図には掲載すらされていない場所。
 ホスピスのスタッフでデヴィトンエリアのことをきくなら、シスターローズだった。スタッフには心ある人が多く働いているので、ご近所づきあい文化が盛んなタウンシップの暮らしの中で、どの家にエイズ遺児がいる・・あそこの子供はご飯を食べさせてもらえていない日がある・・あそこの旦那は奥さんを殴るのよ・・あそこの家の人は「べリーーシック(ひどく病気)」などと、機会があればヘルプしたい人たちのことを把握していることが多い。ローズはとくに、親族をエイズで失くした経験があることもあって、潜在的な地域の患者さんをよく私やファーザー・ニコラスに教えてくれていた。そのローズにフィギレの家族を尋ねたいので、ローズのいつもの力をぜひ発揮して欲しいとお願いした。住所自体は入院時に控えをとってあるが、電話番号は家族ではなく同じくエマプペニに住む親戚のものだった。
 お葬式はほとんどの場合、週末土曜日に行われる。それまでに探せそう?ローズにきくと「大丈夫よ。私はこういう仕事をやりたくてここで働いているんだから」とキュッと手を握ってくれた。