エイズ孤児たち

エイズ孤児の子を二人連れて、たっぷり肉料理の食べられるSpurというレストランへ夕食へ行った。出会ったのはずいぶん前になり、二人とも年齢は10代後半。最近ではなかなか本音を聞き出すのは難しくなり、本当なら大人になってしまった私達よりも、同年代の友達たちと騒いでいたい週末。
その日は、タウンシップでエイズ遺児のためのクリスマス会を開いたので、二人には参加を誘っていた。クリスマス会自体は小学生を対象にしたものだから、手伝いをしてもらって、夜は誘拐して「お疲れ様」の食事をごちそうしようというもくろみだった。また、別々のタウンシップに住む二人はそれぞれに幼少から多くの苦労を経験している少年少女で、特にこの1〜2年は彼らにとってハードな時期だった。私達を通じて相手の存在を知り、話をしてみたい気持ちを少しだけ抱いていたようなので、一度会わせてみてもいいと思ったのだ。それにお腹いっぱいにご飯を食べる機会をなるべく多くつくってあげたかった。それから幼いエイズ遺児たちとの活動に彼らが触れていくことも大切。コミュニティでの活動へ楽しみが見出せれば、それは将来の1つの職業選択への希望が増えることにつながる。
クリスマス会に「行く」「会ってみようかな」と言っていた二人それぞれの自宅で、朝になって「友達と他のタウンシップに一緒に遊びに行きたい」「床屋に行きたい」と気が変わってしまった。これも予想の範囲。
12月の南アはタウンシップ全体が熱を帯びたようなお祭り気分になる。学校は休みになり、いろいろなパーティーが誰かの家で開かれる。親達は子供に一揃え以上の洋服をクリスマスにプレゼントする風習があるから、そのお金の捻出に頭を悩ませる。それでも12月はハッピーになる人が多い。24日・25日だけでなく12月中が「Decemberがきた!」と落ち着かない気分になるのだ。年度末の試験を落第せずにパスできたかどうか、その結果も発表されると、本格的なホリデーのスタートだ。大人もこの時期に単身者や出稼ぎの人は田舎に帰ったり、可能な人は休暇をとって過ごす。
酒飲みも、飲み慣れない若者も「12月なんだから」と理由をつけてお酒を飲むので、酔っ払いに要注意の時期だ。つまり若い少女達が我が身を守らなければいけない時期。
そんな浮かれ騒ぎの中で、埋もれてしまってひっそりと哀しみを隠して過ごすのが孤児や本当にお金のない家庭で暮らす子供たちだ。
今日の少年少女もそんな家庭で育った。成長する姿を多くのニバルレキレのタウンシップの仲間達が見守ってきた。甘えて抱きついてきていた彼らが「友達と遊んでいる方がいい」「12月はお洒落して過ごしたいから床屋に行きたい」と言うようになったなんて、どこか感慨深いものがある。
少年は床屋行きを決行してしまった。床屋が終わったらすぐに手伝いに行くから・・とは言ったものの、12月の床屋は込んでいるので結局クリスマス会が終了してから、少年を車で拾うことになった。
少女の方は悩んだ末に、クリスマス会へ参加した。そして大人顔負けの仕切りっぷりで働いてくれた。HIV陽性である少女はまだARV治療を始めて日も浅く、本当は体力がなくて疲れやすい。「休みたいわ」とこぼしつつも、幼い頃の自分がかけられたのと同じような言葉を小さな子供たちにかけて、見事な働きっぷりだった。
夕方になり、二人をのせてお店へ向かう。
二人の挨拶はさっぱりとしたものだった。車の中でもしゃべってるのは大人とうちのチビだけ。お店でも、少女は出された料理にケチをつけ、少年は店内に流れる音楽がなってないと自分の携帯でダウンロードした音楽に聴き入っている。照れ隠しなのか、二人がいかにもとりそうな態度だった。そのてんで勝手な姿に笑ってしまった。沈黙は多かったけれど、場の雰囲気は暖かかった。
それぞれに家に帰れば、貧しい暮らしが待っている。何も食べるものがなく過ごすという日だって何日もある。可能な社会保障の手続きは全て行っても、暮らしは厳しい。南アでは多くのエイズ孤児は親戚の家に引き取られてそこで育っていく。大家族で支えあう。そこには日本の私たちにはときに見習えないくらいの、大きな優しさがあふれている。支えあうのが当たり前。だけれど、失業率40%を越える国で、十分な収入を得ている人はタウンシップでは一握りだ。エイズ孤児たちは親戚宅でどんなに優しくされても、遠慮や我慢をしていることが多い。申し訳ない、という気持ちを口にする子供もいる。また「早く働いてお返ししなくちゃ」「自分のお金が欲しい」と小さいうちから言うこともいる。
だから、とにかく二人にお腹いっぱい食べてもらって、そして自分の同志のような奴が他のタウンシップで頑張って暮らしているんだと認識してもらって、あともう数年間お互いに頑張って勉強を続けて、なんとか自分で生きていく道をつかんでほしいと思いながら、二人をからかっておしゃべりする私達。
タウンシップでドロップアウトしていくのは簡単だ。堕ちていこうと思えばどこまででも堕ちていける。
「自分は堕ちる人生だけは嫌だ」「しっかりと死んだ家族のためにも生きる」と彼らが考えているのは事実。でもその心はなんといってもまだ10代で、いくらでも揺れ動き、挫けかねない脆さを秘めている。
彼らの来年はどうなるのだろうか。
どうか学校をちゃんと続けて欲しいと思う。
自分を大切にできる人間になってね、なんていうと簡単に「大丈夫。ちゃんと大切にしてるから」って言うけれど・・。

食事が終わり、それぞれの帰途についた。感想は「ファイン」。良かった、というよりは「別にいいんじゃないの?」といったニュアンスに聞こえたけれど、まぁいいか。彼が緊張せずにリラックスして挨拶し、彼女がおしゃべりにならずに過ごしたというのは、二人の性格からして「お互いをリスペクトして認め合った」可能性
が高いんじゃないかな。