小さな炎(1)

「小さな炎」という名前の女の子。

名前はフィアメーラ。

彼女のお話は、他のNGOエイズ孤児の物語がキャンペーンに必要と頼まれて、一度書いたことがある。どうしても、それをもう一回、きちんと自分の手で誰かに伝えることが必要なんじゃないかと思ってずっと、過ごしてきた。

彼女はエイズ末期患者の入院する小さなホスピスの小児病棟で育った女の子。小児病棟にいる子どもは、親をエイズで失い、引き取る親族がいないか拒否された、孤児の子どもが多い。あるいは、エイズを発症してしまったために、親戚宅では看ることができずに入院してきた子ども達。引き取られた親戚宅で虐待を受けていることが発見されて、保護されてきた子ども達。
ほとんどの子どもはHIVに母子感染している。

フィアメーラは0歳でこの病院に入った。
母親が死んでしまい、育ててくれる親戚もいなかったから。父親が誰かはわからない。母親は父の名を残すことなくこの世を去った。名前がわかったところで、探し出すのは至難の業だし、子どもを今さらケアする意志もなければ、なによりエイズを発症している可能性、あるいは死んでいる可能性がある。
フィアメーラもHIVに感染している。
母子感染をほぼ防ぐといわれているARV薬や粉ミルクが妊婦に無料で提供されるようになったのは、彼女が生まれてからしばらく後のことだった。
南アで一番最初に言葉をかわしたエイズ孤児が彼女。
病棟で、早朝の5時過ぎにはゴソゴソと起き出し、喚声をあげる子ども達の、ガキ大将のような子だったので、真っ先に覚えた。始めて小児病棟に足を踏み入れたときには、彼女にむんずと髪の毛を引っ張られた。
「こっち来て!」「こっち来て!」と10数人の子どもが、まず最初の病室でいっせいに足を踏み鳴らしながら、笑って手招きしてくる。
病院独特の、高い柵のついた白い小児用ベッドが不自然なほどに、皆一見は元気に見える。一番威勢のいいのは、いつもフィアメーラだった。

しばらくは彼女のことを「かわいい男の子」だと思っていた。
当時の病棟では、子どもは皆丸刈りにされていたし、彼女はとても記憶に残るハスキーな声をしていたからだ。
どんぐり眼にカールした長いまつ毛。尾翼の少し広がった低め鼻。プックリした唇に、真っ白い大きな前歯。つやのある茶色い肌。ただ、その顔に目立つたくさんのおできと、あごに膨らんだ瘤に、彼女の免疫の低さを悟る。まだはっきりと発症はしていないのだろう。別の部屋で寝ている、病状の重い子どもとは比べ物にならない力強さがあった。

小児病棟は、病気があるのがまるで当たり前のような空間。
それでいて、突き抜けるような暖かさにあふれる空間だった。そんな中でたいていの場合、彼女は笑っていた。

彼女は当時4歳。
病棟のスタッフに確認すると、やはりCD4カウントはすぐにでもARV治療を必要とするくらい低かった。このCD4カウントの検査をするようになったのも、2003年になってからの出来事だ。国全体がARV治療に向けて動く中で、エイズホスピスでも、ソエトにある大きな公立病院、バラグアナホスピタルの小児病棟の医者の協力を得て、外部から小児のHIVの専門医が定期的にこの病院を訪問するようになったのだ。それまでは、治療にアクセスできる望みなどない中で、多くの子どもがこの病院でエイズで死んでいった。
そして、フィアメーラもこの4歳の時点では、ARV治療を受けられる望みがなかった。

彼女は4年の人生の中で、多くの友達が死んでいくのや、隣にある大人の病棟から外の霊安室に日々運ばれていく、白い布に覆われた遺体を病棟の窓から、じっと見て過ごしてきた。何人かの子どもが、幸いにも里親の下へと引き取られていくのも見送りながらの4年間だ。

ある土曜日の午後に、屋外の広場で、紙を広げてみんなでお絵かきをしていたときに、彼女は子ども達の中でただ一人、「私と死んだママ」と言って、ママの絵を描いた。
ママの記憶が本当に彼女にあるのかは、わからない。ママというのは彼女にはどういう存在なのだろう。ママとは何者と彼女が考えているのだろう。

母親が当たり前のようにいる環境で育った私には、わからないことがたくさんあった。
「ママ、優しい人?」とだけきいてみた。「もちろん!あたしのママよ。」とフィアメーラは誇らしげに答えた。なんだか、それで私はとてもうれしい気持ちになった。

「小さな炎」なんていう、素敵な名前をつけたママが、どれだけ彼女の誕生を待ち焦がれていたか、生まれたのを喜んだか、愛していたか。
そんな風に、自分の名前からママの記憶をたどるように、いつか彼女もなるのかもしれないし、しないかもしれない。
でも、死んだママのことを考えると、絶対彼女と一緒に生きたかったに違いない。
「小さな炎」という名前の素晴らしさとあわせて、ママのことを彼女がこうやって口にすることはとても彼女にとって大切なように思った。

施設で育つ子どもと、ママについて話すのはとても難しい。
親戚にひきとられている子どもであれば、ママの思い出をいろいろと耳にすることもできるが、0歳1歳といった年齢で施設に入った子どもにはそれがない。

膝にのせたもう一人の子どもを抱きしめながら、目の前でうれしそうに絵に色を重ねてくフィアメーラを見つめる。