小さな炎(2)

多くの子どもたちは、私のたいして大きくもない、おっぱいの膨らみに関心を示す。
「これ何?」「何のためにあるの?」
彼らは粉ミルクで育っている。ずっと病院の中で過ごしているから、地域で母親が赤ん坊に母乳を与える姿を見る経験もない。
フィアメーラは、何も尋ねてはこないけれど、ときどきおっぱいを触ってくる。
そしてまるで照れ隠しのように、私をつねる。つねりながら、
「チクリン、チクリン!」と笑って肩をすくめてる。抱きしめようとすると、「駄目、駄目!」とちょっと笑い顔で、照れて逃げていってしまう。

めったに泣かないフィアメーラが泣くのは、胸が痛くて辛いとき。体が辛いとき。彼女にはあごの瘤だけでなく心疾患もあった。
それから心が混乱したときにも、大泣きする。
決して声はたてずに、ぼろぼろと大粒の涙を流す。途方にくれたように呆然と座り込むか、部屋の隅に立ち尽くして泣く。
静かな泣き方なのだけれど、いつも知らないうちに頑張りすぎて、我慢しすぎて、気を張っているのが、辛いときに爆発するような感じ。彼女が一度泣くと、しばらくは大人の慰めは全く通用しない。半日以上、下手すると翌日まで放っておくしかない。

本当だったらママに抱きついて甘えたい場面なんじゃないかしら。彼女の中では、ママに抱きつきたいという感情は、どんな感じなのだろう。漠然としたもの。満たされない空白感のまんま、心の隅っこにあるなにか。

フィアメーラは甘えるのがとっても下手だった。親愛表現でやることが、たいていの場合、病棟では「いたずら」「悪ふざけ」となって、怒られる結果になってしまう。大人に気に入られるような愛嬌なんて振りまけない。感情表現もぶきっちょでぶっきらぼう
そして同時に、大人顔負けにしっかりしていたりする。
病棟の大人の仕事は全部覚えていたし、掃除も食事の後の皿洗いや片づけ、小さな子の食事の世話やオムツ交換、なんでも率先してやってしまう。別に、いい子になりたいからでなく、それをするのが楽しいという顔で、生活の一部として、とても自然におこなってしまう。
私なんかがやっていると、「リラト、それかして」「やらせて」と余計にやりたがる。
小さな子どもの泣いている理由を見抜くのは私よりも早かった。
大人の前でぐずる赤ん坊が、ノシーポの前では泣き止み、彼女の前ではイイ子に離乳食を食べ、すうっと眠ってしまう。
横で、ホウっと関心しまくる私の方を振り向いて、「この子はいたずらっ子ね」「この子はじっと控えめなのね」「この子はとてもいい子ね」「かわいいね」と同意を求める。自分と一緒に生活している、いわば妹や弟のような存在の乳児達への、キラキラした眼差しのまま、くるっとフィアメーラに振り向かれたので、彼女をきゅうっと抱きしめながら、「そうねフィアメーラは本当によく皆を見てるね。賢くて、優しいね」と伝えた。
彼女は満足したように、どこかへと遊びに駆け出していって、いたずらな子どもに戻ったらしく、どこからかシスターのいつもの怒鳴り声が聞こえてきた。