小さな炎(3)

院内学級の活動でも、フィアメーラはたいていの場合にリーダーシップをとってくれる。
初めてとりくんだ水彩画では、一番乗りで大胆に絵筆を動かして、とっても明るい色の一筋の線を白い紙にのばし、にっこり笑った。そして画用紙を一杯に塗りつぶしていく。大胆な抽象画ができあがっていく。
子どもの絵は、どの子もそうだが、どこで描き終わるのかまったく予測がつかない。途中で途方にくれて周りの子がどうしているか、キョロキョロと確かめる子もいれば、ほとんど真似っ子してしまう子もいる。
白い紙を前にボーっとしている子もいる。その子は親戚の家で虐待を受けているところを、ソーシャルワーカーに保護されて、病院へ入院に至った。HIVにも母子感染していたからだ。正確な医師の判断はないけれど、院内学級の取り組みや集団での活動に、うまく適応できない面が目立つ子。白い紙と筆を扱いあぐねているようだったので、フィンガーペインティングにきりかえて、見本をやってみせると、ゆっくりゆっくりとだが、指に絵の具をのせて、白い紙に、花のような色鮮やかな点々を作り出した。
フィアメーラが「リラト!はやく来て」と呼ぶ。「はい、おしまい。」そう言って渡された絵を「すごいねー」と眺めていたら、「上と下が逆だよ」と怒られてしまった。
いつも生き生きとしているフィアメーラ。
そんな彼女の心の一端を知るできごとが、そのしばらく後に起きた。
洗面所に一緒に手洗いに行ったときのことだった。
免疫力や抵抗力の低いノシーポたちは、栄養のある食事や十分な睡眠、遊びを通じた体力づくりに加えて、清潔を保って、ウイルスやばい菌から体を守ることが、健康な子ども以上に大切だ。
でも、例えば、うがい手洗いの習慣は南アの人には見られない。そこで、子どもが外から帰ったときの手洗いがいつも気になって、声かけを心がけるようにしていた。
その手洗いのときだった。そのとき、洗面所にいるのはフィアメーラと私だけだった。
子どもの目の高さについた鏡にうつる彼女を見つめながら、私は手洗いを手伝う。うつむいて手を洗う彼女の瞳の上でまつ毛が揺れている。自然と口にでたのは「かわいいね、フィアメーラは」という言葉。
瞬時に彼女から返事が返ってきた。
「ちがう!リラトは間違ってる。私は醜いのよ。」
衝撃だった。4歳の子どもが自分のことを「醜い」と自己評価していたのだ。しかもひっそりと、その気持ちを抱えて笑って暮らしていたのだ。
病院の中の限られた空間、制限された生活の中で育っている彼女が、どこかで覚えた、「醜い」という言葉。
どこからノシーポ自身にその言葉が結びついたのだろう。
この院内学級の子どもたちは全員バイリンガル。なぜなら、アフリカ人のスタッフはズールー語で保育するし、医師と院内学級の先生、そして白人の管理職や多くの訪問者(目的は取材や、里子探しや、ドナーとしての訪問、ボランティア活動など)は英語を使う。
フィアメーラは英語ではっきりと「ugry(醜い)」と言った。そして、鏡越しに涙を浮かべて私の顔を見た。