つないだ手を離さないこと。

ジョバーグ周辺のタウンシップには、周辺にたくさんの共同墓地が存在する。
その中を歩いていると、この国の歴史を少し垣間見ることができる。
墓地はだいたい年代ごとに区画が分かれているのだが、例えばアパルトヘイト終焉の頃、闘争の激しかった年代の区画は、現在は墓標がちゃっと建ったお墓がほとんどになっている。丁寧にみていくと、たくさんの人が20代、30代で命を落としたことが記されている。
そして、90年代後半。2000年以降。墓標のない土盛りだけのお墓がずらりと並ぶ。少しずつ墓石も立てられてはいるが、土盛りが広がり続けるスピードに追いつかない。週末ごとに、どんどん墓地の緑地が消えていく。
それから、子どものお墓もとても多いことに気づかされる。
今現在もこの国が闘い続けているもの。エイズ禍。

私が出会った子ども達は皆、このエイズの影響を受けながら必死に生きている。
それはものすごく悲しくて過酷な現実だ。でも逃げようがないから、エイズと一緒に皆がんばって生きている。誰かを責めるのではなく、どう一緒に生きていくか、どう遺された者達で支えあうかが大切だから。
ARV治療の公費負担の対象は拡大しているものの、これまでの年月の中で、たくさんの「日本だったら死なないのかもしれない」と思うような死や、「日本だったらここまで苦しまないのかもしれない」という壮絶な闘病の過程をみてきた。
それは大人だけでなく、子どもの場合も同じ。子どもであればあるほどに、その死へいたる過程は、言葉には言い尽くせない重い罪業感を私たちに与える。
また、親や身近な人の死を目撃し、遺されていく孤児や遺児の喪失感は計り知れない。
もちろん、どんなに自分を責めたところで、その子どもの本当の痛さや辛さや悲しさなんて、これっぽっちも取り除いてあげられないことはわかっている。それでも、身近な人のエイズ死を経験した遺族や遺児、友人、施設のスタッフは、さまざまなものを背負うことになる。タウンシップ全体が傷ついているといってもいいのかもしれない、と時々思う。
ただ、子ども達は悲しみの中に埋もれてしまうことなく、本当に、本当に力強く、粘り強く、輝きながら日々を生きている。寂しさや不安や哀しみといったものを、胸の奥に潜めて、笑い踊っている。
私だったら笑えるだろうか。転がりまわって遊べるだろうか。そんなことを考えて、泣きそうになる私の前で、彼らはケラケラと子犬のように動き回って、目を輝かせている。ときどき唖然とするような我がままを見せて大人を振り回したりする。
自分から誰かにすがってくることは少ないけれど、差し出した手を払いのける子どもはまずいない。こんな私の手であっても。

多くの人へ責任をとることはできない。でも、一度手をつないだ子どもとは、なんとしてでも、ずっと手をつないでいたいと思う。そんなことを考えながら、26日のワークショップの内容を練っているところ。
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