孤児を社会で守る(2)

震災のことで連絡をとりあっている、様々な職業の方たちがいます。
その中のお一人から、紹介いただいたものを紹介します。

66年前の戦争末期に空襲被害によって戦争孤児となられた方が、
震災によって孤児となってしまった子どもたちへの支援を切に願う気持ちを
つづったものです。 




東京大空襲被害者原告団
孤児被害者代表 M・K さん



私たちは、66年まえの戦争末期、空襲被害によって孤児になった者です。
私たちは空からの焼夷弾による火の海を逃げまどい、親きょうだいが焼け死んでいきました。火を逃れて3月の隅田川に入り肉親が沈んでいきました。黒焦げになり、身元も分からなくなった遺体の山や遺骨の散乱する焼け野原をさまよいました。
親を失った悲しさと心細さと、これからどうしたいいのかという不安に押しつぶされていました。
今回の震災の孤児の方たちは、66年まえの私たちとまったく一緒でした。私たちは、遠い昔の記憶のはずなのに、今回の被害の様子を知り、あの頃の自分の恐ろしさと不安を一挙に思い出しました。本当に苦しいです。
政府関係者の方々にお願いです。
どうか、孤児になった子どもさんたちを第一に救って下さい。どの被害者の方も大変なのは分かります。でも、親がいなくなるということは、子どもにとっては生きる基盤を失うことです。悲しくても心からすがれる存在がなくなるということです。
そして、今後、精神的な苦しみや物理的な不自由、有形無形の差別などにさらされていく可能性が大きいのです。
震災から、2週間たち、子どもたちの心は、茫然自失から本当の苦しみに入っていきます。私たち空襲被害孤児で「親と一緒に死ねばよかった」、こう思わなかった孤児はいません。今回の震災孤児たちにこんな思いはさせないで下さい。
どうか、孤児たちの生活支援、精神的な支援をまず、お願いします。また、他国の被害の際に起こったような、孤児の他国への連れ去りなどは、絶対にないように留意していただきたく、心からお願いします。

2011年3月28日



南アフリカでの活動でもそうですが、孤児たちには、彼らの今後の人生しっかりと寄り添う誰かが、支えが必要です。

空襲という壮絶なトラウマ体験。親を亡くして自分だけが生き残って
しまった罪業感。その後の暮らしの中での差別。学業や就職などの困難。あらゆる場面で、頼りたいご両親のいない喪失感や、孤独感と向き合われてこられたM・Kさんの苦しみを、そのような戦後の人生を、改めて理解したいと思いました。