大切な時間。

「自分たちにできる範囲での震災支援の活動をしたい」と
と思って、ニバルレキレが最初に震災支援でかかげたのは
4つのことだった。

1.震災わかちあいグループ@東京
2.募金活動つうじての後方支援
3.メール相談
4.3842プロジェクト

震災わかちあいグループ@東京は、なかなか心地よいやさしい
増殖具合で、自分自身の心の動きを見つめケアしながら、
今は都内にいらっしゃる被災者の支援活動をきちんと
継続したものとして行なっていけるよう、体制を作りつつ
あるところ。

先日から、某所にある都営住宅の被災者のご家庭に訪問に
通いだした。

これは、なんとも不思議な出会いで、
不思議な出会いがアフリカに限らず多いのだけれど、

南アの例にならって
「あなたのことを知っている。」と道端で
被災者の方に声かけられたのだった。

もちろんその日は、田端での被災者支援のイベントをやっていた
わけだから、そのスタッフということで声をかけられるならわかる。

でもそうではなくて、
会場ではなく、道を歩いていたら、
「やっぱりあなただった。」と嬉しそうに声をかけられたのだった。

東京武道館で会ったのかな?ということにしておいたものの、
その後、ご家庭を訪問しながら話をしていくと
東京武道館では、そのご家庭と私は、すれ違いで、顔をあわせていないはず。

なんにせよ、
伝えておいた連絡先に、連絡がその後入り、
今、そのお宅に通っている。

宮城県の松島で津波被害に遭われ、家が半壊。
高齢のお母さまの通院のために市内に出ていたために
命は助かった。

そして10日かけて避難所を点々としながら、東京にたどり着いた。

今日までに、家族の3代前からの壮大なドラマを教えて
もらっているが、話してくれたことは、実際のご家族の
人生の時間の、ごく一部にすぎない。
相当の苦労人人生だ。

それをなぜ話してくれるのかな?と思いながら、
ずっと話をきいている。

それから、お母さまの中での決定事項は
私が着付けの生徒になること。
もちろん授業料はなしでよいという。

それで、今、かなり真剣に浴衣の着つけやたたみ方を
練習している。

訪問すると、ひとしきりのおしゃべりがあり、そして
「さぁ、やろうか」とお母さんが、棚から真剣に浴衣を選び出す。
棚やその他の調度品は、すべて震災後の都内での避難生活で寄付された
もの。その中に、大切に、津波に流されずにすんだ、着物や浴衣を
毎日少しずつ、洗って乾かして、たたんで、しまっているのだ。

代々呉服屋をしてきた。
着つけを教えてきた。

避難生活でも、その人生の空白を
作るつもりは、お母さんにはない。

それが、お母さんにとっての、
最大の自分への手当てであることを、
きっとご本人は、わかっているのだと思う。

今月は、息子さんが宮城に戻られており、お母さんは
都営アパートで1人きり。
足が悪いので、遠くには出られないし、
重たいものは買いにいけない。

介護保険その他サービス導入をお手伝いしてしまうのは
簡単だ。
でも、そうではない何かを
息子さんもお母さんも望んでいる。
そんな気がする。
うまくはいえないけれど。

可能な日には訪問し、粛々と二人で
着つけの時間に向かい合っている。

毎夜の電話には、お互いに照れがあるけれど、
電話でお母さんの声をきくとほっとする。
実家に電話する感覚に近い。

もうすでに、家族のような感じ。
不思議なものだ。

南アでも、1日1件。
無理せず、ゆっくりと家庭訪問をしてきた。

わかちあいグループ@東京の運営も南アの自助グループ式。

訪問も南ア式。

これから、その地区での被災者支援のネットワークを
作っていく予定だけれど、それも南ア式にやっていくつもりだ。

アフリカン・タイムの
やさしく、しなやかな、支援をできたらいいな、と願っている。