小さな炎(8)

ある夜、

団子状態に私の上に乗っていた
小さな子どもたちが、他の遊びに散っていった隙に、

フィアメーラがめずらしく、すっと私の膝の上に乗り、
いつものようにつねってくることもなく、
抱きついてきて ささやいた。

「私のママになってね。」


彼女からきいた
初めての甘える言葉だった。


ママになってあげられたら、どんなにうれしいか。

でもその感情は私の自己満足。


一生をきちんと育て上げるという責任をもった姿勢で
私は彼女に接してきただろうか。


それに日本人である私による法的な国際養子縁組はできない。


私はフィアメーラには、今、この施設でしかかかわれない人間。



「フィアメーラみたいな子のママに、みんななりたいよね。」

「なってよ。」

「フィアメーラを産んだママが、一番フィアメーラを
 愛しているんじゃないかなぁ。
 私は負けるなぁ。」

「大丈夫だよ。」

「外国人だし、ママにはなれないんだよ。
 この病院で一緒に過ごすことしかできないんだよ。
 でもフィアメーラが、自分の子どもだったらうれしいなって思う。
 
 フィアメーラが私にママになって欲しいときに
 そう言って、いっぱい甘えてくれたらなって思う。」

「じゃあ、今しばらくママになっててね。」

「オーケー!」


しばらく膝の上で、しがみついたり、おっぱいに触ってみたり、
くすぐってみたりと過ごしていた彼女は、

スタッフが夜のティータイムのお茶を持ってプレイルームへ
入ってくると、

いつもの、みんなのお姉さんの顔になって
さっと、立ち上がると、皆を座らせにかかった。




ときどき、そんなふうに甘えてくる夜があった。

甘えてくる彼女を抱きしめていると、自分の心がゆるりと
ときほぐされる。

日々子どもに感情移入しては、それぞれの子どもたちの
将来を想像して、ドキドキと期待と不安に苛まれる。

大きな感情に揺さぶられる日々。


フィアメーラの方が大人だった。


他の子が「ママになってよ」というと
「エリコは南アフリカ人じゃないんだよ」
「ここにいる間だけのママだよ」と
諭してくれる始末だった。



2005年の1月に、数人の子どもが無事にARV治療を受け、
体調が安定したところで、就学目的で、小学校が近くにある
養護施設へと移っていった。


フィアメーラはちょうど体調を崩してしまい、皆より
遅れてしまったのだけれど、その後きちんと
コブの治療を受け、皆と同じくARV治療が軌道にのったところで
養護施設へと移っていった。


その年のクリスマスの時期に、養護施設へイベントを開きに
訪れた私の前には、急に大人びた彼女がいた。

小学校に通い始めてしばらくがたっている。

顔の輪郭もすっきりとバランスが良くなっていた。



久しぶりの私に、その施設の職員の前で甘えることは
決してなかった。

遠くから、ニヤニヤっと笑って、頭をかいて見せただけで
他の子どもたちのようには、走りよって来なかった。


新しい環境で強く生き続けている彼女の人生。
気になるけれど、首はつっこめない。


日本でもそうだが、孤児の子供たちは南アでは一つの施設で長く
暮らせるわけでなく、一定の年齢がくれば、そこを巣立たなければ
ならない。

苛酷で残酷な現実だ。

過酷で残酷なことを、
フィアメーラたちに、私たち大人が強いている、という
ことを、背負っていくしかない。
心の中で、彼女たちを抱きしめながら。

そう思いながら、養護施設を後にした。