シンシア・レショモの物語

ボツワナの中上流階級の家庭に生まれ、機会にも恵まれ育ったシンシア・レショモ。

彼女が隣国南アで夢を手にし始めたのは、HIVが感染拡大しはじめた時期だった。彼女は何も心配しなかった。「私はHIVになんてならない。若くて美しく、感染するような社会的階層の人間ではないもの。」

そして彼女は体調を崩しだした。医者たちは彼女にHIV検査を勧めるが、彼女は拒絶。心の奥底ではHIVを疑いながらも、彼女がそれ以上に恐れたのは、HIVにつきまとうスティグマ(烙印)だった。

性行為を通じて感染する疾病特有の恥。治癒不能の疾病であるがゆえの恐れ。感染という不運をつくりだした張本人を非難する社会。罪の意識。嫌悪感。スティグマについてまわる感情や思考は、人々に「それは『彼ら』に起こることであって、『私』にではない」という距離感を与え、リスクをさけることについて、話し合う機会を奪ってしまう。

シンディにも、どれだけ病気がひどくなっても、HIV検査に行くという選択肢はなかった。

病気が重くなった彼女はボツワナの両親の元で過ごすことになった。彼女に母親はARV薬を見せ、「私はあなたがHIVに感染していると言っているわけではないけれど、もしもそうならこの薬をあげる。」と伝えた。

エイズ患者が生きることができる治療がボツワナで手に入る。それは画期的なことだった。シンディは検査を受け、そしてARV薬を服用しはじめた。

しかし治療によって体調が改善してきても、彼女の中のスティグマは拭い去られなかった。自分が30歳という若さで死にいたる病を抱えていること。性行為を通じて感染した何か。自分は今や印をつけられ、汚れ駄目になってしまったことを、彼女は薬を服用するたびに、思い知らされるのだった。

彼女はARVの服用をやめ、薬代をお酒とパーティの費用に使い果たした。

すぐに彼女の体調は悪くなった。もはやオムツをしなければならないほどで、死がしのびよってくるのを彼女は感じた。「だったその日のうちに死んでしまいたい。」 彼女は家中にある洗剤や薬を大量服薬した。

3日後彼女が病院で目を覚ましたとき、医者は彼女の死が近いことを家族に宣告していた。
しかし彼女は回復していった。「生きたい。」と彼女の心が決めていた。もう死は恐れるものではなかった。

ARVを規則的に服用するようになり、健康を取り戻した彼女は、HIV陽性者のための自立支援センターに就職し、HIVエイズとともに生き、そのステイタスを受容して充実した人生を送る仲間に出会う。トレーニングを受け、HIV陽性であることを公表し、人々を啓蒙するためのスピーチしていくアクティビストとしての活動を始めた彼女は、ARVでは達成されなかった、恥の意識が払拭されていくのを感じた。「私は人々に影響を与えることができるのよ。」と。

ボツワナの、ミス・スティグマ・フリーという美の女王の冠を得た彼女は、ボツワナHIV政策の中で増えたHIV陽性者・ARV治療を受ける人たちのケアに奔走する。

もしも感染していなかったら・・と別の人生のことを考えることもあるという彼女。大切なのは、有名かどうかということよりも、大切なのは 「自分は今も、シンディ自身であること。」と語っている。


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以上は28 STORIES OF AIDS IN AFRICA のストーリーからの要約です。


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