ノムサ(4)

ノムサのお話は、これが最後になります。

ノムサとファーザー・ニコラスと私の3人で写っている写真を眺めていました。シャッターをおしてくれたのは、お掃除のスタッフで、「カメラなんて」と緊張しながらのシャッターだったので写真はピンボケです。でも、この一枚が唯一の私の手元にあるノムサの写真です。

 ノムサは写真が大嫌いでした。どんなときも、誰かがカメラを持っていると嫌な表情をします。少なくとも私とファーザーの手元にはノムサの写真はそれまでありませんでした。そんなノムサが、逃げ出した施設からホスピスに戻ってきて、しばらくしてから「写真を一緒にとろう」と声をかけてくれました。ノムサの指定どおり、写るのはノムサとファーザーと私の3人、撮るのはお掃除スタッフの中でも彼女が心を許しているノンブラ(仮名)。
 ピンボケの写真の中で、3人が笑っています。ノムサはゴシップでの馬鹿笑いはよくしていたけれど、「微笑む」のはちょっと下手でした。そんな不器用な彼女がぎこちなく微笑んでいます。心の中はこれからも語られることはありません。ノムサは亡くなり、ファーザーも南アの後に赴任したロシアで多剤耐性結核に罹患して亡くなりました。私だけが残りました。

 写真を撮った日の天気も、みんなの声も、ティータイムのお茶の味も、今でもすぐによみがえるのに、少なくともこの世ではもう会うことはないのです。不思議な感じです。寂しさとは違います。ホスピスで真摯に命をまっとうした患者さんたちは、誰もが今もこの世界のどこかで生きています。私には「あの世」という響きよりももっと近いような感じです。日々踏みしめる大地が温かいといったらいいでしょうか。いのちの大地に自分が立っている、それがとても自然な感覚です。風にのって誰かの声がします。ときには匂いを感じることもあります。
 そんなの実際は違うでしょ、美化していない・・?なんて思われる方もいるかもしれませんね。でも、アフリカの大地はどこか不思議な力を持っています。ホスピスで出会った人たちの命は、確かに肉体はエイズによって衰えボロボロになり、多くの人は治療のない中で無残とも言えるような様態を見せて亡くなっていかれます。でも命や、その人の輝きはエイズで損なわれることはありません。生き続けるのだと思います。ノムサもファーザーも、私たちのそばにいます。

 ノムサはホスピスに戻ってから、まったくトラブルを起こさなくなりました。とても静かになってしまったのです。体の調子もガタンと体力が落ちたように見えました。空咳をすることが増えました。ベッドで寝ることも。
 ノムサのテレビ部屋での指定席だったソファは、不在の間に他の女性が座るようになっていたけれど、当たり前のようにノムサの席へと戻りました。ちなみに他の女性というのは何から何までノムサの真似をして、3週間過ごしていました。テレビ番組ですが、患者さんが好んでみるのはゴールデンタイムの長寿番組「ジェネレーション」と映画、プロレスです。ノムサはB級のカンフー映画とプロレスが好きでした。でも、この頃になって見る番組が変わってきました。
 南アではHIV問題への予防啓発が大きな課題ですし、エイズは本当に日常生活に隣り合わせの問題ですから、エイズのことを取り上げる番組が多くみられます。恋愛ドラマの中でも、感染という体験を登場人物がするものが多く、芸能人がトークショーの中で感染を公表したりします。例えばSOUL CITYという団体は、大変すばらしい啓蒙活動と、感染がわかった人たちを勇気づける情報発信を、様々なメディア手段で行っていますが、ノムサはこういった番組を熱心にみるようになりました。特に同世代の女性の感染をとりあげたドラマを。
 食い入るようにして観ていました。観る前も後も、番組について何も話しません。終わると、さっと自分のベッドに戻ってしまいます。自分の感染のことを考えているのでしょうか。体調不良の感覚に怯えているのでしょうか。ベッドのそばに行くと、「私は大丈夫よ」ということの多かったノムサが、「ちょっと辛いの」「そこにいてくれる?」と言うようになりました。でも、あくまで「話したくない」気持ちは譲りませんでした。
 心のうちを語って楽になる人もいますが、必ずしも語らなくてもよいと私は考えています。語らないことで必死にバランスをとってこの世界で生きている人はたくさんいます。ノムサもその一人なのかもしれません。でもノムサが「辛いの」の一言を口にするようになりました。本当に辛かったのでしょう。生きていくことも辛いし、死が忍び寄ることも辛い、経験のない人間にはわからない辛さです。そばで黙って座って過ごすことが、彼女の声に出さない気持ちを尊重したい、という私にできるノムサへの返事でした。
 時間を見つけては、ノムサのベッドの横に椅子をひっぱってきて座って過ごしました。他の患者さんのところをまわるときには声をかけるようにしました。ノムサの昼間の様子は、ファーザーに可能な限り話すようにしました。

 ノムサは静かに一人きりで自分の死と対峙して、ホスピスでの残りの日々を過ごしました。質問されれば体調について一言二言の返事をスタッフにはするものの、自分からは辛さや痛みは何も訴えませんでした。死が目の前にちらついている状況に対しての思いを口にするわけでもなく、じっとノムサは過ごしました。
 元気だった頃の奔放な振る舞いの中で、彼女は怒りを出し切ってしまったのでしょうか?私だったら様々な怒りを抱えたはずです。彼女は幼い時期をアパルトヘイトという人種差別国家の中で生きました。その時代への怒りはなかったのでしょうか?どうやって、今までサバイブしてきたのでしょうか?その中での辛い体験への怒りはなかったのでしょうか?感染がわかって、なぜ自分が感染しなければいけないのか?との怒りはなかったのでしょうか?貧しいというだけで、先進国では慢性疾患となりつつあるHIVエイズの、治療にアクセスできないことでの「死の宣告」に怒りはなかったのでしょうか?自分でもわかる、エイズの発症と忍び寄る死への怒りはなかったのでしょうか?
 患者の中には、それらの怒りをぶつけてくる人もいます。ぶつける権利が患者さんたちにはあります。人間には怒る権利があります。受け入れがたいことに対しては怒らなければいけない。怒る中でこそ、受け入れる必要のないことへ立ち向かえます。自由を求めて立ち上がる行動や、治療を求めて立ち上がる行動は、不当なことに立ち向かう勇気があったから為し得た行動です。そして勇気の手前の段階でとても大切なことは、そうしていいのだ、自分にはそうする権利があるのだ、と信じられることです。自分の権利を再確認し、安心して怒ることが私たちにはとても大切です。そうやって怒る中で、初めて、それでも受け入れざるを得ないこととどう向かい合うか、覚悟ができたり、何かを赦せたり、心が執着から逃れて自由になれるのだと思います。
 怒ってくれる患者さんばかりではありません。既にそういう時期を通り越して、ホスピスへやってきたという方もいますし、人生に起こることの多くを避けられないものだと、淡々ととらえている方もたくさんいます。命の生業に、悪あがきするのは個人的には好きではないので、淡々と耐えてこらえていく姿を見ても、おかしいとは思わない私がいます。
 でも、このホスピスでの全ての死は避けることができた可能性の高い死なのです。そのことには、私は怒っていました。怒らないで全てを受け入れて亡くなっていく患者さんの分も、私は怒らないといけないと思って、怒って、そしてTAC(治療行動キャンペーンというアドボカシー団体)のデモや集会に通いました。怒ることを止めたノムサの心が、気になりました。同時にそれは、とてもノムサらしい、と感じていました。ノムサに、怒っていいのよ、泣いていいのよ、そんな言葉をかけても陳腐な気がしました。
 ノムサのホスピスでの数年に出した怒りは何に対する怒りだったのだろう?と今でも時々思います。彼女は、周りの全てを怒りながらも、常に自分には怒る資格がないと思っていたのではないかしら?と思うことがあります。そんな自分のことを一番怒っていたのではないかしら?と思うのです。彼女がホスピスでいろいろとやらかしている最中に、もっと私たちは別の向かい方が彼女とできたのかもしれない、と後悔にかられることがあります。最悪にも施設を追い出すという出来事が彼女には起きてしまった。そのことで、彼女は自分にはやはり、人生の辛いことに怒る資格がないと感じたのではないかしら?と、彼女の心を聞けなかった自分が悔やまれます。
 同時に、戻ってきてからの彼女が、周囲に何かを求めることなく、自分なりに真剣に病と向き合い、黙って静かに死までの日々を過ごした、そのスイッチを入れ替えた後の、彼女の壮絶な決心に、これまれの人生をどれだけのエネルギーでサバイブしてきたのか、人を頼ることなく生きてきたか、彼女のすごさを思い知らされました。
 追い出されなくても、こんな日々になっていたのでしょうか?追い出された経験で、再び、自分で全てを終結させてしまう生き方へ戻ったのでしょうか?せめて、ホスピスで、散々やらかしていた日々に、ファーザーに愛され、現場のスタッフにはちゃんと受け入れられ理解されていたことに、安らぎを見つけられていたのでしょうか? 
 ノムサは、皆からの声かけにはきちんと応答しながら、最後の日々をがんばりました。呼吸器系と消化器系にかなり辛い症状がでていたので、それは辛かっただろうと思います。
 夏が始まろうとする頃、彼女は静かに、ファーザーに看取られながら本当に静かに亡くなっていきました。
 愚鈍な私は、彼女の亡くなる場に立ち会えませんでした。こんな私にはこの先も、彼女は何も答えてくれないんだろうな、と思います。
 それでも、彼女とハグしたときの体の柔らかさや、ハスキーな声や、深く射るような眼差しは、こんなにも私のすぐ隣で、今でも存在し続けています。会えないのが嘘のようです。何も理解できていない私が、彼女の心に少しでも近づけるような日がくるだろうか、そう思い悩みながら、今日も私は彼女の写真を見つめます。