ノンプメレロ(1)

今日からノンプメレロという女性の話をしようと思います。

ノンプメレロは、本名です。彼女が私に「本名で自分のことを語ってね」と話してくれたのです。
名前の意味は、「誇り」です。
亡くなったときは25歳。初対面のとき私は10代の少年かと思ったくらい、若くボーイッシュな女性でした。女性というよりも、私には今でもノンプは「少女」という記憶です。
つりあがった大きな黒い瞳でいつも遠くを見つめていました。

彼女は入院して2ヶ月もすると具合がどんどんと悪くなり、食べたものを吐くことが増え、体重が落ちていきました。体が勝手に震えて自分の手を顔や口元へ持ってゆけなくなってしまいます。最後の頃は食事や洗面などを手伝って過ごしました。歩くことが難しくなってしまったある土曜日、彼女が「明日教会に行きたいの」と言ってきました。車椅子で行こうか?と確認すると、自分の足で歩いていくのだと言います。食堂から病室までも大変です。でも「あなたが手伝ってくれたら歩いて行けるわ」とノンプが、久しぶりに笑いました。
次の日曜は朝一番に彼女のところへ向い、教会への外出を一緒に準備しました。ちょっとでも髪を整え、ちょっとでもお洒落にきれいに見えるように。介助という言葉はあまり似合いません。手をしっかりと握り合って、二人で支えあいながら日曜の一日、真剣に同じ景色を見て過ごした。そう私は記憶しています。
無口なノンプが帰り道に「私たち、親友みたいね」「教会に行けて良かったわ」と言いました。ミサの間、ずっと彼女はガクガクと振るえ、座っていることも、立ち上がった場所から足を前に踏み出すことも、苦しそうでした。でも、彼女は「とても素敵な日曜だった」と言いました。
往復の車窓から、彼女は食い入るように外を見つめていました。全ての景色を心にとめようとしているようでした。
彼女の最後の外出。そう思いました。来週は一緒に来れないだろうと、確信している自分がいました。手を握り続け、涙をこらえることしかできませんでした。泣かずに、彼女と同じ今日の景色をしっかりと記憶しようと思いました。来週も来ようね、とは私は言えませんでした。

南アでは、HIV陽性者は「治療にアクセスできれば必ずサバイブできる」と励ましあって、社会に動きを作り、世界を動かし、国を動かしてきました。
生きるうえでの選択肢のある社会にすること。選ぶ権利が自分の手にある社会にすること。そういった状況は、本当に決死の努力、行動を長い年月に積み重ねて初めて手にできるものです。悔しいことに、人に優しくない社会や体制が世界にはたくさんあります。

ノンプは、社会に対しての強い思想や主義もなければ、何か希望や意志といったものも「特別にない、わからない」と自分でも言う、静かに生きてきた女性です。そして静かに亡くなりました。そのノンプが「私の名前を覚えていてね」という言葉をのこしました。
ノンプメレロという女性の人生がありました。彼女のことを私は決して忘れません。