僕は人生を知り始めたんだ。

 たくさん出会うエイズ遺児の中で、ニバルレキレの私達がいろいろな意味で強い絆でつながっている一人の少年がいる。
 これまでにもブログで書いた、先日路上で不良たちに滅多刺しにされた少年だ。彼はその後、勇気ある心でそのショックを乗り越えながら、元気に12月のクリスマスシーズンで少し浮き足立ったタウンシップの中での生活を取り戻しつつある。

 養育してくれている叔母さんは、彼の母と親友だった私を、彼の母代わりだからと言って、少年が私とどんな話をしているかどうかあまり心配することなく、むしろ「任せたわよ」といった感じだ。日常的に彼らにかかわっているのは、私ではなくKさんという仲間なので、Kさんに「娘しか育てたことがないから、男の子って途方にくれちゃうわ」と反抗期の彼の言動にどう対処していいかどうか、ときどき愚痴をこぼすこともある。でも、叔母さんは彼をとても愛していて、そして何よりも彼の死んだお母さん、つまり自分のシスターをとても愛して誇りに思っていたので、少年の人生に強い責任感を抱いている。少年の家庭にはもう一人エイズ遺児の少女がいるがその娘も同様、とても愛されて育っている。

 本当に貧しい彼ら一家が、まずは最年長の子どもである少年がしっかりと自分の足で歩いていきていけるようになるよう、他の子どもたちも同様に人生の責任を自分で負えるようになるよう、叔母がHIV陽性者である自分の人生をしっかりと自己管理して生きていけるように。

 彼ら一家だけではなく、ニバルレキレで支えたい子ども達は山ほどいるけれど、お金はほとんどないこの活動。でも、とことん語り合っていくことならできる。「こうなるべき」なんていう子どもに無理に勧めるような何かはない。ありのままの彼らの哀しみや不満や怒り、夢や希望を聞きながら、彼らが生きている人生を知ること。ドロップアウトしたっていい。でもなんでそうなったのか。引きこもりしていてもいい。でもなぜそうやって、家で座り続けているのか。非行や年齢に本来なら似つかわしくない行動(性行動やアルコールや薬物など)に惹かれれるのはどうしてか。若い時期にありがちなこと、では片づかない。そういった出来事の背景には、必ずといっていいほど、家庭での貧困や、エイズによる大切な人の喪失や、愛情の欠落、中には暴力など、本当にいろいろなことが隠れている。
 だから、子どもとつき合い続け、そして可能な家庭には入り込んで、家庭の中で失礼な言い方でいうと「子どもの足を引っ張っているのは誰か」というのを見て、その人とのコミュニケーションを試みて、時には何かを一緒にトライして、家庭全体が底上げされるようにしていく。
 こういった数年がかりの活動で、どうにかこうにか、ニバルレキレからは、本格的に人生を捨ててしまう子どもたちを出さないように、試行錯誤しているところだ。

 話を少年に戻そう。
 少年と今回もゆっくりと語り合った。本当に無口でシャイな少年なので、時間はかかったけれど、彼の今の心をきいた。そして、ニバルレキレでどうやって、彼のこれからの人生を応援できるか、彼自身の希望を確認してきた。
 彼との間で決まった約束はこうだ。彼の言葉で書こう。
 
「僕はこんな風に無口でどう自分を話せばいいかわからない性格だし、それに自分よりも年下の家族(叔母さん一家やもう一人の遺児)の人生のプライバシーもあるから、少なくとも、誰かジャーナリストとか旅行者が自分を尋ねてきても何も話したくないし、写真も撮られたくない。
でも、僕のママはリラトに自分の人生を日本で伝えて欲しいと言って遺したんだ。ママは勇気があった。僕ももう18歳で、自分のことを自分で決める年齢だ。そして、僕は将来の自分のために、勉強を続けていき、きちんと仕事を見つけるためには、今せっかく挑戦しているテクニカルカレッジでの勉強を続けたいんだ。僕は貧しい。だから、誰かの助けが必要だ。でも、「知らない誰か」は嫌なんだ。
 僕をきちんと知っている人。僕という人間の存在を知りたいと思ってくれる人。リラトならわかるだろ。リラトが、日本で出会う友達や、ワークショップで顔を合わせて語り合う仲間とは、リラトだって心が通い合わせられるでしょ?そういう人たちにだったら、僕の名前もどんな人生かも全て、写真も紹介してくれていいし、なにもかも話してくれて構わない。うん。そうしたい。インターネットや新聞記事や、ニュースレターは不特定多数が読むから、それは嫌なんだ。僕の大切な人生だから・・・」


 彼との約束をどう果たしていくか、来年の日本での活動をいろいろ考えたいと思っている。
 それから、彼が「ブログで書いてもいいよ」と話してくれたこと。それはこんなことだった。

 「ずっと貧困な家庭で暮らしてきた。自分が貧困だとわかったのは、2歳か3歳のときだった。でも家族がいた。ママに叔母さんとその娘にマゴゴ(おばあちゃん)。5人で幸せだった。それがバタバタと死んでいった。泣きつかれるまで毎日泣いていたときもあった。墓場で立ち尽くしていたときもある。最近ようやく、泣かない日もできてきたんだ。母さんが死に、父さんが死んだとき、両方とも学校は落第してしまった。なんで自分が、と思ってきたのかもしれない。でも自分だけじゃないんだ。
 この前刺されたときは、何が起きたのかわからなかった。痛みは感じなかった。死ぬんだな・・となんとなくフワフワした気分だった。ショックなんてものじゃなかった。家のすぐ先の通りが血の海になったのを、掃除したのは僕を今世話してくれている叔母さんなんだ。どんな気持ちだっただろう。刺されたときに、一緒にいた友達は自分を置いて逃げてしまったんだ。
 人は孤独なんだね、リラト。友達も変わっていく・・。
 生きていれば誰にだって、いろいろなことがある。僕だけじゃないんだ。これが人生なんだ。リラト、これが僕達の人生なんだ。僕だけが不幸とか特別何かじゃないんだ。これが僕達みんなの人生なんだ。」

彼はまだまだ無邪気で子供らしくて、つい頭をいい子いい子してしまうくらい可愛いところがたくさんあるけれど、しっかりとこの1年くらいで成長していた。
今は年度末の試験結果と年度始めに申請した奨学金の結果待ち。

彼の来年の人生へのチャレンジをなんとかして応援したいと思っている。