ノンプメレロ(7)

リンディーは、あらゆることを失念してしまって、

いろんな失敗は多いものの、ノンプのことだけは

「ノンプ」「ノンプ」といつも話しかけていた。



ノンプとリンディーの二人は、

自分がお水を飲むときには相手に声をかける。


差し入れのビスケットも丁寧に枚数を数えて半分こ。

飴玉も半分こ。

コップ1杯のジュースも半分こ。


一人だけで何かを手にしようとは絶対にしなかった。



食事の介助を真ん中でしている私を飛び越して、

二人はのんびりとズールー語でおしゃべりをしている。





ノンプとリンディーは、

わかち合えるものは、

目に見える形あるものでは、

お互いほとんど持っていなかったけれど、

本当に多くのことをわかち合っていた。



ノンプは、リンディーがエイズ脳症で、

認知に問題がある日々の行動を、優しい眼差しで見つめ、


リンディーは、日に日に弱り、食も細り、

なめらかな輪郭をつくっていた顔の肉が落ちて、

顔の皮膚は今や骨に張り付いているだけにまで痩せてしまったノンプを、

「ノンプは私の子供よ」と、真剣に日々の彼女の様子を

リンディーなりに私たちに伝え、そしてノンプへ毎日話しかけ続けた。



二人は運命共同体のように、残された時間を誠実に生きていた。




「ノンプ、この部屋に来るとなんだか

私も心があったかくなるな」と話したとき、

ノンプも、「うん。」と頷いて顔を和らげた。



「ノンプメレロ、素敵な名前だよね。

 あなたの人生を、私が誰かに『大切な友達なのよ』って話すのは  嫌?」



ノンプは大きな目を開いて、

「私のことを?」「私の何もない人生を?」と言った。




「ノンプの人生、

 ノンプが精一杯生きている時間で
 
 いっぱいだったんじゃないのかな。

 25年ぎっしり必死で生きたノンプが

 つまっているんじゃないのかな。


 何もないような気がする中を、

 ずっと生きてくるのって、

 そうとう強い人間だからできるんだと思う。どう?」


ノンプはしばらく黙っていた。




エイズだってことも?

 私がもしも死んだ場合には、

 エイズでも一人でも頑張ったって、

 誰かが忘れないでいてくれるの?

 えり子は私のことを忘れたくないの?」



「そう。」



「えり子、私の名前間違えちゃだめだよ。

 ノンプメレロ、ちゃんと伝えてね。」



ノンプとこの会話をしたのが、教会へ行った直後だった。



こんな長い会話ができると思っていなかった。




でも8年、ノンプのことも、みんなのことも、語れない自分がいた。




「語る資格があるのだろうか?」今日もぐるぐると心が迷う。


それに、ぜんぜんうまく伝えられなくて、困ってしまう。



本当に、毎日誰かが亡くなっていくホスピスでは、

誰もが死と向き合いながら、

「ここにつかまっていれば大丈夫」という

何かを信じながら、しっかりと生きている。

 

つかまっていれば大丈夫。



そう皆が思っていたのは、

その病院のことだったもしれないし、

病院の神父ファーザー・ニコラスかもしれないし、

病棟の多くのスタッフだったかもしれないし、

今日も自分は生きていると確かめ合うことのできる、

仲間の患者さんたちのことだったかもしれない。



それらみんなが「神様の手」のようなものなのかもしれない。


多くの人にとって、さし伸べた手の先には、神父であった

ファーザー・ニコラスがいたけれど、

ノンプの伸ばした手を握ってくれたのは、

リンディーウィだったのかな、と私は思っている。



ノンプは、その後数日して亡くなった。




半日以上、横で手を握り、最後の呼吸を見守った。


温かな光がベッドにさし込む冬の、午後だった。