ホスピスでの写真

 ホスピスでは写真がとても人気です。自分の写真を生まれてこのかた、ほとんどもっていないという患者さんやスタッフが多いので、カメラを片手に病棟に行こうものなら、「撮って!撮って!」と大騒ぎになります。ベッドからほとんど起き上がることもなくなってしまった患者さんであっても、写真を撮ってほしいと望みます。
 
 写真は、自分の生きた証の一つになります。私がホスピスで働きはじめる前に、ファーザー・ニコラスからこんな話をききました。
 「患者さんにせがまれて私は写真を撮ると、大急ぎで街の写真屋さんに車を飛ばします。生きている患者さんに、できあがった写真を見せるためにです。写真を手にした患者さんが私に微笑んでくれます。その証が、亡くなられた患者さんを引き取りにこられた、ご家族の方へと大切に渡されるのです。でも、何よりも家族の前に患者さん本人に写真をしっかりと渡してあげたいのです。
 明日・・と思っていて、患者さんが亡くなってしまったことがありました。ですから、このホスピスという場所では、今患者さんがのぞんだことは、今すぐに叶えてあげることが、私の大切な一つの役目なんです。」
 ファーザー・ニコラスはカメラがもともとお好きだったようで、一眼レフを使っていました。ファーザーがカメラを首からぶらさげて病棟に入っていくと、もうそれだけで患者さんみんなが、そしてスタッフみんなが、子供のように満面の笑みと恥じらいの表情をして、「ファーザー!」のコールが始まります。「ファーザーが私の写真をとってくれた。」それだけで幸せ一杯になる患者さんがたくさんいます。
 
 ファーザーは後に、デジタルカメラとプリンターも信者さんからの寄付によって手に入れて、夜更けにはいつもゴスペルをききながら写真をプリントしていました。

 私は、初めて南アに渡航した際にはカメラを持っていきませんでした。ファーザーから写真についての話をきいていたし、写真を南アで撮りたいと自分が思うかどうかはわからない、と思っていたからです。頑固で融通のきかない性格なので、これまでにも、写真を一枚も撮らずに自分の頭の中にだけ鮮明に映像の残っている国がたくさんあるのです。写真が上手だったら、違ったのかもしれないですね。

 実際にホスピスでの日々が始まり、ファーザーに写真をとってもらうという、患者さんにとっての大きな喜びの光景は、とても美しくて悲しくて切ないものでした。写真が残り、その人と出会えなくなる毎日。どんな心で患者さんはファーザーのカメラの前で微笑み、ファーザーはシャッターを押しているのだろう・・・

 私がカメラを手にするのは、それはとても陳腐な気がしました。患者さんの「私の生きているこの姿を撮ってね」という、切実で真剣な思いを撮りきることなんてできないだろう、ということが自分にわかっていたからです。

 でも、次第に患者さんから「どうしてカメラを持っていないの?」「どうして私の写真を撮ってくれないの?」「ファーザーじゃなくてもいいんだよ」「一緒に撮ってもらおうよ、私の友達だって、みんなに自慢できるじゃないの」・・そんな言葉がしきりにかかるようになりました。

 南アに行った初日に病棟をまわったとき、ほぼ全員の患者さんに「あなた、なにしに来たの?」と質問されました。「あなたは誰?」とも。
 答えは患者さんの好奇心一杯の笑顔をみているうちに自然に出てきました。「あなたの友達になりたくて、日本から来たのよ。」するとある患者さんが、「あなたは明日からも私のベッドに来ていいわよ。エイズ患者の私を見たいという人だったらどうしようかと思ったわ」と言いました。病棟には寄付を考えている人や様々な視察の人も来るけれど、中には会いたくなかったって思う人もいるのだと教えてくれました。

 私は親しくなってくれる、たくさんの患者さんの顔を自分の頭の中の記憶に残そうと思っていました。でも、友達の私に写真を撮ってほしい、一緒に撮りたいと言ってくれた、みんなの声に、融通のきかない自分の思考がほぐれていくようでした。
 さっそく一番近いショッピングモールへ歩いて出かけ、とりあえずインスタントカメラを買ってきました。(南アはインスタントカメラが売っています。)病棟へ戻ると、「リラト(私)がカメラを持ってきたよ!」と、ちょっとしたお祭り気分での撮影大会が始まりました。
 ファーザーのカメラの前よりも、みんながおチャラける!ということがわかりました。変な顔をする人、映画スターのようなポーズをとる人、私の服や帽子やメガネを奪って変装して「チャイナ、ジャパン」と変なカンフーもどぎのポーズをとる人・・。
 日本に一回戻ったら、カメラを次は持ってこようと思いました。
 その後、私もファーザーを真似するように、オートマの安いカメラ→一眼レフ→デジカメと手持ちのカメラが変化していきました。でも、根が不精なのとセンスがないのと、写真を撮ろうと思ったとたんに、場での自分の視線や意識が何か集中力に欠けて変わってしまうのが、自分には合わない気がして、やっぱり南アの写真は少ないです。 
 7年かかって、ニバルレキレも少しずつ写真が増えました。