アグネス

がりがりに痩せたアグネス(仮名)がホスピスで誰かと会話をしている姿は、ほとんど見ません。ケアギヴァーたちに質問されて、イエスだかノーくらいをズールーで答えている姿をたまに見かけるだけ。常にみんなから離れた場所で過ごします。部屋に引きこもることはなく、日中は皆から離れて、パティオのようになっている元気な患者の旧病棟と重症患者の新病棟の間の外廊下で、歩行器にしなだれかかって、じっと立っています。ティータイムのお茶を飲むわけでもなく、日向ぼっこをするわけでもなく、でも彼女は昼間は外に出て過ごします。何かを誘っても首をふるだけ。
アグネスは入院当初から新しい病棟の二人部屋でした。つまり病状は重いという判断を医者がしたのです。入院当初から二人部屋になる人はたいていが、自力で庭に出たり、洗面をしたりできない状態ですし、入院して1日で亡くなる人も多いほどなのですが、彼女は、庭に出て来られるし、身の回りのことは自分でするのだ、とケアギヴァー。
夜勤シフトでは早朝4時過ぎくらいから、一人一人の患者さんの体を洗い、身だしなみを整え、朝を迎える準備をするのですが、そのときにも、スタッフから「アグネスはいいのよ、自分でやるから」と言われていました。
アグネスからの拒絶的な雰囲気。でもアグネスは引きこもらないで姿を見せる。
アグネスはどんなメッセージを伝えたいのでしょうか。

本当に相当に暗い雰囲気を醸し出してしています。目にも輝きのないアグネス。そんなアグネスが歩行器にしなだれかかって皆をながめて過ごす理由が知りたいと思いました。車椅子の方が体は楽なんじゃないのか、と思うほどに前屈した姿勢が彼女には楽なようです。遠くからいつも皆が何をしているのかを、じーっと見つめている視線を私は次第に感じているようになりました。

ある日ファーザー・ニコラスにきいてみました。ファーザーはアグネスと話したことがあるか?と。驚いたことにファーザーも、「アグネスの声をしっかりときいたことがない」といいました。ファーザーは1日に3回はホスピスの全員のところをまわって、相手に応じて語り合ったり、マッサージをしたり、髪を刈ってあげたり、パソコンを運び込んで患者の観たい映画を見せてあげたり、お菓子をあげたり・・・と聖書は持ち出さずに患者さんたちとかかわることも多いのですが、ほとんどのアフリカ人を夢中にさせるファーザーも、アグネスのことは「どういう人なんでしょうね」と首をかしげていました。
 ナースサマリーや介護記録からは、期待するような情報は得られませんでした。医者にきくと、「彼女は打つ手がないからね」とポツリと答えました。
打つ手がない?
このホスピスにいる人、全員打つ手がなくて、ここで看取られるまでの日々を過ごしているというのに。アグネスは、その中でも「打つ手がない」ということなのだろうか。
彼女の暗い眼差しが、毎日眠るときに、チラチラと頭をよぎります。といって、日々の生活でどんなに彼女に挨拶しても、何を誘っても、彼女は首を振る。せっかくそれまで私たちが何をやっているか、話をしているかに注がれていた視線までも、声をかけた後には、壁を見つけるだけになってしまい、逆効果になってしまう・・。

アグネスの視線を一番感じる時間は、暖かな日中に、車椅子を含めて座って過ごすことの可能な患者さんたちを庭に連れ出し、車座になる感じで、交流の場を作り出すときです。
日によって、主役はいろいろ。みんなの注目が均等に互いに注がれるように、なんとなくとぼけた調子で少し言葉をはさむようにして私もそこで過ごします。1日1回は、誰かの過去の嬉しかったことを皆で「それは素晴らしかった!」と認め合い一緒に喜ぶ。家族に会いたい気持ちを分かち合う。エイズの辛さを分かち合う。歌いたい人は歌う。踊りたい人は車椅子のまま踊る。エイズのことや体調の悪さ、家族との断絶で抑うつ的になっている人がいるときは、誰かがそっと手を握る。そういう場合には勇気づける人もいれば、死を前にした真剣な悩みを語った時ですら温かい冗談で笑いの渦にしてしまうセンスのある人もいます。
ほとんど私が言葉をはさむ必要はありません。ただ皆の配置を考えるだけです。HIV感染という過酷な体験や過去のアパルトヘイトの体験、その中で小さな暮らしを守ってきた、心の傷と向かい合ってきた患者さんたちは、誰もが互いのヒーラー(癒す者)となりえるのです。これは仲間、当事者どうしだからこその連帯であり、大きな大きな目には見えないパワーであり、死を前にした自分の置かれた状況から逃げない勇気や、人によっては赦しのメッセージを私たちに伝えてくれます。ただの日向ぼっこではないのです。命のあるべき姿。
メンバーへの声かけや椅子の配置はケアギヴァーと一緒に相談して行うのですが、もう1つその場で私がやっていることは、足湯を皆にしてあげることです。足湯のケアがそれまでこの病院ではなかったこともあって、これはかなり病院スタッフにも喜ばれました。足の冷えや浮腫みや痛みに苦しんでいる人、体調は大丈夫だけれど人と心から触れ合いたい人にとって、足湯とアロママッサージは本当に人気でした。
みんなが互いに語り合い、笑いあい、沈黙をともに味わう中で、私は一人一人の患者さんの脚のすねや膝、くるぶしや爪と語り合っている感じでした。うまくいえませんが、目の前にある体が愛しいと、その体のいろいろなパーツと会話をしているような気持ちになることって、ないでしょうか?
患者さんたちも脚と足はそれぞれに苦痛を抱えていますから、慎重にマッサージをしていきます。しっかりと大地を踏みしめて生きてきた足はまるで、その人の顔のように私の手の中で多くを語りかけてきます。言葉のない会話。愛しい時間でした。
不思議と、足浴を一度でもしたことのある患者さんとはあまり言葉を交わさなくても、うなずきあうだけで「私たちは互いをリスペクトしている」といった、堅い絆のようなものが生まれます。

そんな皆の庭でのひととき、車座の中心で要は私は胡坐をかいて座りこんで足浴や爪きりやら、やっているわけなので、車椅子と車椅子の隙間から、アグネスが見えるのです。
四点歩行器に上半身を預けるようにして、いつも病院貸し出しの黄色いバスローブを着ているアグネス。まがりなりにも動けるけれど、アグネスはバスローブ以外の衣服は着ないようです。病棟のパジャマは着ないのかしら。

次第にファーザーも、アグネスが自分が患者にマッサージをしているときに、じっと見ていた。びっくりした・・と言うようになりました。
少なくともアグネスは何かファーザーや私がやっていることに関心があるらしい、アグネスもマッサージをされてみたいのかしら?心を開いてくれるだろうか?夜遅くまで、語り合いました。

アグネスに近づく日がやってきました。

その日は久しぶりにナイトシフトに入れてもらっていました。新病棟は静かなときもありますが、エイズ脳症で精神状態が不穏になってしまった人が暴れまわって大変な夜もあります。絶え間なく誰かが苦痛にうめく声が聞こえてくる夜もあります。とにかく眠れていない人に寄り添うのは大切な夜の仕事です。
アグネスは夕食は半分残していました。パップ(主食)と肉を少し食べていました。野菜は全部残しています。アグネスの部屋の相棒はなぜか常に彼女よりも死が間近で、彼女がお話したりできる相手ではないようにセッティングされていました。つまり、アグネスは日々、隣のベッドの人が亡くなっていなくなる部屋で過ごしているのです。なぜ?
夕食後の声かけは拒絶されました。消灯のラウンドでも無視されました。ドアはどうする?との質問に「閉めて」とだけ背中越しに小さなアグネスの声がしました。

なんだろう。この悲しみは。なぜアグネスは不必要に悲しい状況にいるんだろう。「忌む」「疎む」という言葉がありますが、この言葉が頭に浮かびました。病院のスタッフ自体がアグネスの何かを怖れ、心のサポートができずにいる。そしてアグネス自身も、自分を忌むものと感じていているのではないだろうか?
あってはならない出来事。アグネスは絶対に人とつながりたいのだ、絶望した何かからアグネスを皆のいるところへ引っ張ってこなくてはいけない。

夜中になりました。とにかくアグネスが気になってしょうがない私は彼女の部屋のドアに耳をくっつけて中の音をきいたりしていました。何回かラウンドして、何回目かにドアに耳をつけたとき。室内から、泣き声のような呻くような押し殺した声が聞こえてきました。
「アグネス。」「アグネス。入るわよ」
アグネスのベッドの横に椅子を引っ張ってきて、座りました。アグネスは私と目を合わせることができずに、宙に視線をさまよわせながら、涙を流していました。
「アグネス、悲しいの?痛いの?」
「痛いの。」 アグネスが答えてくれました。
「背中さすろうか。」いつもの黄色いバスローブの上から背中をさすります。背骨のゴツゴツがタオル生地の上からでもわかる、痩せた体。背中をさするのを拒否する様子はありませんでした。
「アグネス、マッサージするときね、直接肌に触れると私の手の平からもっとアグネスが感じることができるかもしれない。」
「そうなの。それで、あなたいつもやっているのね。」
「どうする?」
「やって欲しい・・。」
「アグネスは肩の方からガウンを脱ぎました。痛みは腹部のようです。マッサージに最適な姿勢は痛くてとれないだろうと思ったので、アグネスの一番楽な姿勢をとってもらって、肩や背中や腕をアロママッサージをしていきます。
「アグネス、一番痛いのはお腹なのね」
「・・・」
「ごめん。言いたくないのならいいのよ。」
そのとき、アグネスに痛みが走ったようで、また涙を流しながら体をアグネスが丸めました。私はアグネスの背中側に座っていたので、アグネスに声をかけて、顔見える場所に座りなおしました。
しばらくは、泣いているアグネスの頭をなでながら、手を握っていました。
「ごめんね、私にはわからない痛みだよね。何もできないね。何かできることはある?」
「・・・・」
「お腹は痛いんだよね。胸元だけでも呼吸が楽なようにさすってみようか。」
アグネスがそのときに言いました。
「私の体を見て驚かないでね。」
バスローブは二人でそうっとめくりました。

アグネス。アグネスの性器のところから下腹部まで全体を、ガンの腫瘍が増殖を続け、いわゆるガンの花がさいている状態でした。性器は本来の女性のあるべき美しい性器ではありませんでした。悪い言葉を使えばそれはグロテスクなものとなり、血液や悪臭のする体液を垂らしていました。恥丘にあたる部分から下腹部へむけては、異常な細胞が膨れ上がり、花のひらいた部分からなのでしょうか、やはり浸潤液が流れて腹部を濡らしていました。
彼女は安価な鎮静剤しか投与できない病院で、女性器という女性たちにとって大切な場所をエイズ発症とがん細胞によって攻撃されていたのです。そして彼女の患部であるガンの花から流れ出す体液と血液には、HIVウイルスが存在している。アグネスが秘密を打ち明けてくれたのです。

アグネスがいいました。
「私、自分の体が汚いと思うのよ。これは何?なんでこんなになってしまったのかしら。エイズのせいなの?エイズでもいろいろあるんでしょ。どうして私はこんな・・。みんな私が汚わらしいでしょうね。」
「スタッフも、私が怖いのよ。わかるの。私に触れたくないって。あなたが久しぶりよ。私に触れた人。」
「アグネスは自分がみんなが怖れて嫌がる存在になってしまったと思うのね。そんな気持ちで生きてきたのね。」
「ええ。だって、あなた私に触れる?背中だって、これを見たら怖くなったでしょ。」
頭の中で私は、自分の手には少なくとも自覚するような傷はなかったことを考えました。
「背中のマッサージは終わったし、今度は前だね。痛むなら手を置くだけっていうことにしない?どこに手をあてて欲しいか、アグネスがリードしてね。」
私の手の上にアグネスが手を重ねました。胸元から少しずつ、少しずつ手が腹部へと降りていきます。膨れ上がったががん細胞自体は彼女も痛くて触れないそうです。その周囲を自分でなんとか気を紛らわすように、夜中は一人さすって眠るのだそうです。痛み止めは、鎮痛効果の軽い「パナード」のみ。「他の人のエイズの辛さがわからないから、自分が一番辛い気がしてしまうの」そんな話をしながら、アグネスの手は次第に大胆に、下腹部の体液と少しの血液でテラテラと塗れたガンの花の周囲まで私の手を誘導しました。

下腹部に置いた私の手の下は濡れて温かかく、熱をもっていました。すこしベッタリとした感じもしました。自分が今触れているのはアグネスの体であり、アグネスの孤独な心であり、そしてHIVウイルスでした。
じっと、二人ともしばらく無言になりました。
20分くらいたった頃でしょうか。アグネスが、「なんだか今日はよく眠れそうな気がする」と言ってくれたので、そっとアグネスの体から手を離しました。ずっとアグネスとHIVウイルスに触れている私の手を、アグネスは握り締めていました。
アグネスに理由を説明してから、手をしっかりと洗い消毒をしました。彼女は、HIVのこと、エイズのこと、栄養のこと、多くのことに何も知識がないことがわかったので、その日から少しずつ、夜の消灯後の彼女が他の人を気にしなくて済む時間に、彼女の部屋を訪ねていくことにしました。彼女はその後自分に触るときはグローブ(ゴム手袋)をつけてもいい、と言ってくれたのですが、何に感染の危険があるのかを彼女なりに理解してもらって、素手を通しました。

彼女にもスクウォッターキャンプに残した3人の子供がいます。子供たちのケアを今後していくのはおばあちゃんです。病院には誰も会いにきません。アグネスとは次第に、とにかくもっと野菜を食べなさい、免疫をつけるのよ、ビタミンCってね・・そんな話もできるようになりました。それから、病院でお金を所有している人がお菓子やジュースを近所の雑貨屋で買ってくるのを、うらやましいと思っていたこともわかったので、少々の小銭をいれた小さなお財布をプレゼントしました。早速その日には、買い物係の元気な患者さんにジュースを頼んでいました。
自分でなんとかシャワー浴できる姿も見せてくれました。「本当は入浴の手助けをして欲しいけれど、スタッフも感染が怖くてやりたくないんじゃないかしら・・」と彼女の独り言が聞こえました。「自分でできる人は、自分でやることが大切なんだよ」と答えると、「自分でやれるっていいことなのかしら・・?」とアグネス。確かにアグネスの場合には彼女が見抜いていたようなスタッフの怖れがあったかもしれないけれど、でもアグネスは本当に頑張って自分でいろいろ工夫していました。彼女のシャワー浴をする姿を、となりのトイレに腰かけて私は眺めていたものです。バスタブからベッドまでの短い距離を歩行器でなく、二人で手をつないで戻るときに、アグネスが少しずつ笑顔も見せるようになりました。黄色いバスローブは、それがいちばん体に痛みを感じずに脱ぎ着できるから、自分専用にしてもらったこと。患部の痛みのせいで車椅子含めて、座位がとれないこと。皆の輪には入れないけれど、自分なりにあの場の空気は静かに楽しんでいるから、外にでること。ファーザー・ニコラスは緊張してしまうので、まだ話せないけれど、いつか私がいろいろなことがもっと怖くなってきたときには相談できるかしら・・。なんていうか、まだ私、いろいろなことに途方にくれているのよ。・・・・


これがアグネスと私のお話です。

アグネスはその後亡くなりました。29歳でした。

なお、アグネスと私との間の交流で私は、HIV陽性者の体液と血液に直接触れるという行為をしました。これはエイズにかかわっている専門家や医療従事者が聞いたら、呆れるあるまじき行為だと思います。それは私も知っています。南アではどこに行くにもゴム手袋は必需品です。HIV感染孤児の子供たちもいつも遊んで興奮すると流血の怪我をしますし、アグネスの部屋を訪問するときもグローブは持っていました。ただ、そのときのアグネスに素手で触れることは、私個人にとってはとても自然なことでした。感染することへの恐れはもちろんありましたが、自分の恐れは二の次のような気がしました。アグネスの心に寄り添う方法として、不器用な私には他のことは思いつかなかったのです。2ヵ月後にHIV検査を受け、陰性でしたが、そのときアグネスはもう亡くなっていました。
どなたにも真似はしないで欲しい。
ただ、アグネスという女性がいたこと。彼女がどんな気持ちでエイズを発症しガンを発症し、孤独の中を生きていたのか、アグネスをどうか、あなたの友達のように感じていただけたらうれしいと思っています。彼女のバスローブの背中をもう撫でることはできないけれど。