彼女にみえたもの。

タンディーソワ(仮名)に初めて会ったのは、私はホスピスの庭だったと自分では思っている。彼女がニコニコしながら私を手招きしてきた日のことだ。
でもそのときタンディーソワはこう言い切った。
「私はあなたを知ってるわ。」と。

私、あなたを知らなかったんだけど・・・初めて会うんだと思わない?彼女に、何より名前を知りたかったから食い下がった。彼女は教えてくれない。
「何いうのよ。私あなたにもう会っているんだから。名前だってそのときに言ったわよ。」

はて。名前を教えてくれる気はないようだった。
「私はあなたを知っている」というのは慣れていた。
ニバルレキレが活動しているのは、ジョバーグ郊外の、エクルレニ市内にある様々なタウンシップやスクウォッターキャンプだ。エクルレニ市のちょうど中心あたりのボックスバーグという金鉱山によって開拓された古びた町のはずれ(といっても、空いた土地は今では建設ラッシュだ。)のホスピスが、私が2年間働かせてもらった場所。これらの地域は、少なくとも日本人と出会う場所ではないということもあるのだろう、私のことを「この前の日曜に葬式で見かけた」「この前ジャーミストンのタクシーランクでリンゴをかじっているのを見た」「この前・・」「この前・・」と、あちこちで知らない人に話しかけられる。そしてほぼ100%それは私だった。
パートナーや友達の一部は渋い顔をしながら忠告する。
それだけ誰もが観察しているのよ。観察している人の中には悪巧みをしている人も半分以上いるのだから、そうやって話しかけてくる人と友達になるかどうかは、私たちに相談してちょうだい。

そんなわけで、彼女のいきなりの「私を知っている」も、どこかのタウンシップや路上で彼女に見られたか、立ち話したか、それともコミュニティでのHIV陽性者のサポートグループのミーティングで同席したのか・・いろいろな可能性はあった。でも、考えても思い出さなかった。というか、わからなかった。

仕方がないので、午後にケアギヴァーに彼女に見つからないようにタンディーソワという名前と、彼女がどのタウンシップから来たのかを教えてもらった。彼女はカテホンというタウンシップ出身者だった。
カテホンは頻繁に訪問する場所だけれど、セクションが20近くあって、カテホンに行くための乗り合いタクシーも何種類もある。陽性者のサポートグループもたくさんある。はてさて。どこで彼女に会ったんだろう。

庭で日向ぼっこをしている彼女に声をかけて降参と謝罪を伝え、どこで私に会って、どんなことがそのときあったのか教えてほしいとお願いした。

彼女の答えはこうだった。
「あなたとはね、夢であったのよ。夢の中で友達になったの。私はHIVに感染したのがわかってから、友達がいなくなったの。夢の中でも泣いていたわ。そうしたら、ある日夢の中で、湖のある場所であなたが声をかけてきたのよ。もうすぐ私たち、また会えるって。」

こういうのは、どう表現するのが良いのだろうか。
その後タンディーソワと仲良くなっていくうちに、彼女がとても「夢を見る」人で、その夢が常に彼女には大切な意味を持っているのだということがわかってきた。
本当に眠っているときに見た夢なのか、彼女なりの何かビジョンというかイメージがわくものを夢と表現しているのか、わからなかったらけれど、彼女はそれを「夢」と呼んだ。いずれにしても彼女が目に見えないものの存在をとても信じている、その話に私は魅了された。
精霊の存在。アンセスターの存在。ウィッチング(呪い)の話。エイズについての彼女の物語。

南アの人は非常に高い割合で、今だに心の中ではエイズはウィッチング(呪い)だと信じている。ウィッチングのことは、簡単にここで説明できることではないので、別の機会を作りたいと思うが、タンディーソワも自分はウィッチングによってエイズに感染したのだと思っていた。

誰か私に嫉妬している人か、私を嫌いな人が、呪術医のところへ行って、呪いをかけるようにお願いしたのよ。ウィッチ・ドクターには良いことをしてくれる人だけじゃなくて、悪い魔術を人にかける人もいるのよ。それで、私が眠っているあいだに、何か恐ろしいものが家に入りこんできて私を覆ったのよ。寝苦しかったわ。その後に、私はHIVに感染しているのがわかったのよ。だから、絶対に呪われたのよ。

彼はいたの・・?と訊いてみると、自分は美しくないからそういう人はいなかった。とポツリと答え、それ以上は自分の性体験について語ることは彼女は拒否したので、私も話題にするのをやめた。

ある日彼女が言った。
「リラト、私見たのよ。また誰かが私に呪いをかけている。私のエイズが悪くなって死ぬように。私の洋服、下着、全部呪われていたんだわ。もうこの病院のパジャマと服しか着ないわ。家にある服を全部燃やしてしまいたい。どうしたらいい?」

どうしたらいいんだろう。
家族に連絡をとれば、確かに燃やしてくれる可能性は高い。でも、それは、彼女と同じ心をもって燃やす場合だけでなく、彼女自身を燃やす、彼女という呪われた存在をそのファミリーから排斥するニュアンスをもって行動に出る場合もある。安易に家族と相談するのは怖いような気がした。

家族に一緒に電話をして、面会に来て欲しいと頼んでみた。
嬉しいことに、家族は同意してくれ、そして1週間しないうちに都合をつけてやってきてくれた。
面会にくるというのは意外に大変な労力を要する。エクルレニ市に限らないが、病院まで来るには車を出してくれる人を見つけるか、乗り合いタクシーを乗り継ぐお金を用意しないと来れない。このお金の算段ができない人がほとんどなのだ。
でも、タンディーソワの家族はやってきた。とても穏やかな素敵なお母さんだった。タンディーソワも笑顔だった。普段のタンディーソワは塞ぎこんで考えて、目線を床に落としていることが多いけれど。

お母さんは、彼女と同じ思い、つまり呪いによって彼女がエイズになったと確信している人だった。そして娘を愛していた。家にある彼女のものを全て燃やす、と彼女に約束した。
全て燃やしてしまったら、彼女が死んでしまったときに何を形見にするのだろうか、とふと考えたがここはアフリカだった。

タンディーソワは、持ち物全てを燃やしてはみたものの、エイズは発症しており、具合は悪くなっていく一方だった。
相手のかけた呪いが強すぎる・・と彼女がつぶやいた。

私は彼女にとっては、病院のスタッフではないし、ワーカーでもない、ボランティアでもない。友達だった。実際に、私たちは友達だった。でも彼女にみえているものは、私が寄り添いきれない、アフリカ文化の精神世界の何かだったので、うまくイメージはできずにいた。
ただ、共感できた。日本でもお祓いやお清めをしたり、スピリチュアルなものを大切にする文化がある。アフリカのそれとは異なるけれど。そんな話を彼女にすると、彼女は笑った。

ほらね、あなたが友達になるってわかっていたわ。エイズの一番の呪いはね、相手を一人ぼっちにしてしまうことよ。孤独にするの。一番怖いことよ。あなたが来るまで怖かったわ。死ぬことよりも、ずっと怖いことよ。

タンディーソワは弱っていった。
太っていたタンディーソワを介護するのは、なかなか重労働だった。
ある日、たまたま別の患者さんに頼まれて撮影した写真の現像をした。出来上がった写真をみて、私は一瞬悲鳴をあげた。
外テーブルで微笑む別の患者さんの後ろの遠くの方に、タンディーソワが写っていた。その顔は、私の知るどのタンディーソワの顔とも違った。あまりに暗く表情がなく死人のようだった。
慌てて、病室へ走り、タンディーソワが寝息をたてているのを見てホッとした。

ある日タンディーソワに呼ばれた。
リラト、お別れよ。おじいちゃんが来たの。私をあと1週間で迎えに行くって。大好きだったおじいちゃんよ。私が太っているからだと思うんだけど、おじいちゃん、車椅子を持っていたわ。

1週間後、彼女は息を引き取った。
それは写真に写っていたような、恐ろしい顔ではなく、穏やかで優しいタンディーソワの顔だった。

いつか私も、タンディーソワと湖で会う夢を見ることができるだろうか。もっと、アフリカのことを理解できるようになったときには、会えるのかもしれない、と最近は考えている。