ノンプメレロ(2)

ノンプのトレードマークは頭に巻いた赤いバンダナ。



ファーザー・ニコラスが日本からのお土産で彼女にプレゼントしたものだ。



彼女は、本当に本当に静かな少女だった。



彼女の声を私がきいたのは

ホスピスで出会ってから2週間くらいしてからだった。



みんなから離れて過ごしているというわけではない。



いつも、みんなが集まる場所には必ず顔を出し、

そして静かにただ座っているのだった。



誰かが話すと、その人の方をしっかりと向いて、

大きな眼差しで話者を見つめ頷く。



次に誰かが話せばその人の方を

しっかりと見つめまた頷く。



たまに誰かが「ノンプ」と何か言葉を求めても、

「イェボ(yes)」か「アイ(no)」と答えるくらい。



どうしていいかわからなくなると、

視線を泳がせる。



初めてソファで隣に私が座ったときも、

一瞬動きが緊張で固まってから、

目は宙を見つめている状態だった。



英語で話ができるとわかったときには、

はにかんだように笑って、

少し安心してくれたけれど。



彼女の集団の中でのたたずまいには、

本当に大人の中に必死でついていこう

という

少女のような真剣さと遠慮があった。





常に皆と一緒にいた理由。



わかったのは後になってから。



「一人になるのが怖かったのだ」と教えてくれた。





エイズのことや死のことを、とても彼女は恐れていて、

どう言葉にしたら良いかわからずに、



「誰かが何か話題にしてくれないかしら」、

「どうしたらいいか教えてくれないかしら」、

と思っていたのだそうだ。



それから、

「一人でそういう苦しいことを考えたくない」から、

皆となるべく過ごして気を紛らわすのだ、と。





ノンプは実はシングルマザーだった。

2人の子供がいた。



スクウォッターキャンプ(スラム)で、

子供はおばあちゃんが見てくれているはずだ、

と彼女は言うけれど

電話がないので、元気かどうかすらわからなかった。





このホスピスへの

入院手続きの際の書類には

電話番号の記入欄がある。



ホスピスの玄関先の公衆電話まで、

自力で電話をかけにいけなくなった患者さんとは、

そのファイルを活用して、

私の携帯電話で家族や友人に

病床から電話をかけることもあった。



携帯から電話をかけると、

患者さんと私の病棟での暮らしに

親しみを抱いてくれた家族

(もしくは代理の電話所有者)が、



患者さんの体調をちょくちょくきいてきたり、

伝言を頼んできたりする。



そういう人は病院の電話番号には

「遠慮してしまって、電話したらいけないと思ってしまう」

けれど、気楽な私の電話にはかけることができた。

彼らは心が温かいので、患者さんを声で常に

支えてくれた。



ノンプは「私の場合は無理よ」と言った。



電話を持っていないアフリカ人は

彼女以外にもたくさんいる。



そういう場合は、

近所で電話を持っている人の番号を書いたり、

スパザショップ(雑貨店)や、

店番がいる公衆電話ボックス

(コンテナで建物ができていて、

中に2〜3台電話機がおいてある)を

連絡先にして、



店番の人に家族への伝言役を頼んだりして、

それぞれに工夫して入院手続きを済ませるものだ。



ノンプの場合は、

病院のスタッフが連絡先になっていた。



ちょっと声をききたい・・という希望は、

確かに叶えられそうになかった。





ラマポーザという

彼女のいたスクウォッターキャンプは、

ホスピスには近いものの、

非常に横広がりに大きいので、

案内人がいなければホスピスの神父ファーザー・ニックも

私も訪問は不可能だった。